ALPHAN有限会社

2014年7月アーカイブ

本日の一話〈7月31日〉

総務省が2013101日現在の住宅・土地統計調査結果(速報)を29日発表したそうです。

それによると、住宅の全国総数6063万戸のうち820万戸が空き家で、空き家の割合は135と、08年の前回調査と比べ04ポイント上昇し過去最高に。

総住宅数は305万戸、空き家数は63万戸それぞれ増え過去最多に。

 空き家率上昇の原因には、住宅を撤去して更地にすると固定資産税の軽減措置が受けられなくなるため、相続した住宅をそのまま空き家にしているケースが増えたことや、地方から都市部への人口流出があるようです。

都道府県別に見ると、山梨の220が最も高く、次いで長野の198和歌山の181が高かった。


今後高齢化が進み、亡くなる方も増え当然空家も増えていくでしょう。

空き家対策がより必要になるでしょう。

本日の一話〈7月30日〉

人並み外れて不器用である。

こんな仕事をしているから器用だと誤解されがちだが、とんでもない。

折り紙の鶴が折れない。

靴紐(ひも)が満足に結べない。

絵も非常に不器用な絵で、友人仲間と比較して一番下手である。

その僕が最近トイレットペーパーの三角折をはじめた。

誰でもできるが、ぼくがたたむときれいな二等辺三角形にならない。

しかしトイレを使用する度に練習した。

正確な二等辺三角形で先端がピシッととんがっている端正な形にはなかなかならなかった。

でも最近時々傑作ができる。

うーん、やった、美しい!

と思ってトイレの中でひとりで感動している。

馬鹿みたいですね(馬鹿ですけど)。

勿論(もちろん)公衆トイレ、ホテルのトイレ等々でも使用後にトイレットペーパーの三角折をする。

便座も拭(ふ)く。

後から使用する人が気持ちがいいだろうと思うとうれしい。

ところで高知新聞を読んでいると山の中の神社に放火したり、町の電飾を破壊したりという記事があって暗然とする。

ぼくは高知県生まれで、土佐人であることにプライドを持っている。

しかしこんな無頼な連中がいるとは信じられない。

恥ずかしくてたまらない。

古い奴(やつ)だとお思いでしょうが、人は人のためにつくし、人をよろこばせるのが最大のよろこび。

たとえばほんのトイレットペーパーの三角折でさえも...。


やなせたかし氏の『人生、90歳からおもしろい!』(新潮文庫)より抜粋


「人は人のためにつくし、人をよろこばせるのが最大のよろこび。」

住まいを通して、人のために尽くし、人を喜ばせたい。

 

本日の一話〈7月29日〉

「花笑(はなえ)み」ということばが好きである。


このことばを聞くだけでも頬に微笑がのぼってくる気がする。

「花笑み」とは、もともと、つぼんでいた花がパアッとひらく様子を言うことば。

古典教室の堀川さんから、大変おもしろいことばを聞いた。

「公園の散歩などで行き会う人たちは二種類に分かれるんですよ。

花結(はなむす)びの人とカタ結びの人に」

"花結び"の人は、会えばにっこりきれいな微笑がこぼれる。

花結びした紐(ひも)の片方をひっぱるとするりとほどけるように、表情がほどけてやらわらかい笑顔になる。

花笑み。

それである。

"カタ結び"の人は、その反対。

しっかりとカタ結びにした表情は、人と出会っても固く口を結んだまま、にこりともしない。

この花結び、カタ結びは、ただ表情だけではなく、会話にもつながる。

三十年ほど前、イギリス、ヨークシャーの嵐が丘に取材に行ったとき、谷川の傍の狭い道で、土地の人に出会ったことがある。

昨日まではどんより曇っていたのに、その日は朝から晴れわたって、せせらぎもきらめいていた。

向こうから来た人はすれちがいざま、花笑みを見せて、こう言った。

「やあ、あなたがたがいいお天気を連れてきてくれましたね!」

花結びの人の、ほんとうにおしゃれなあいさつをいまも思い出す。


エッセイスト、清川妙氏の『ほほ笑みのある暮らし』(中経の文庫)より抜粋


「花笑み」という言葉、筆者の言う通り素敵な響き、イメージが湧きます。

「花笑み」の人でありたい。

本日の一話〈7月28日〉

トーマス・エジソンも決して不幸に屈服せず、

逆境を有利な状況へ転化する術を心得ていた人物だ。


191412月、ニュージャージー州ウエストオレンジにあるエジソン研究所は火事によってほぼ全壊した。

エジソンは一夜にして、再び手に入れるのは絶望的と思われるほどの設備とライフワークである研究記録のほとんどを失った。

エジソンの息子チャールズは父親を見つけようと狂ったように周囲を走り回った。

ついに彼は火のそばに立ちつくしている父親を見つけた。

その顔は炎を受けて赤々と輝き、白い髪が冬の風になびいていた。


次の朝、希望や夢が黒焦げになったたくさんの燃えさしの間を歩きまわりながら、67歳のエジソンは言った。


「災害には大変なありがたみがあるね。われわれの失敗はすべて灰になったよ。

これから真っさらでスタートできることを神に感謝しなければ」

行く手をはばむ大きな岩をも敷石に変えてしまうこの天賦の才は、

どんなタイプの困難にもどんな人々の間にあっても大きな力を発揮することだろう。


A・マグギニス氏の『今できる事から始めよ!』(三笠書房)より抜粋



何歳になってもあきらめずにコツコツ、前に前に進む人でありたいものです。

本日の一話〈7月26日〉

 『正直に生きている人が得をする』

〈失敗はごまかすよりも、正直に言ってしまうほうがいい〉

自分自身に後ろめたい思いがある時には、「正直に報告しなければならない」という気持ちに、どうしてもブレーキがかかってしまうものです。

「正直に報告してしまったら、きっとひどく叱られるだろう。

罰を受けることになるかもしれない」という恐怖心が働いてしまうのでしょう

自分の非を隠そうと思っても隠しおおせるはずはありません。

いずれ発覚してしまいます。


次のような昔話があります。

江戸時代のことです。武蔵国忍(おし)藩(現在の埼玉県)に松平信綱という殿様がいました。

信綱は子供の時に、江戸城内の屋敷の中で遊んでいる時に、過って大切な屏風(びょうぶ)を破ってしまいました。

そこへたまたま徳川将軍が通りかかりました。

将軍は「この屏風を破ったのは誰だ」と、ひどく怒り出しました。

信綱は正直に答えればもっと怒られるだろうと恐れましたが、勇気を出して「私がやりました」と告白しました。

すると将軍は怒った顔を和らげて、「よくぞ正直に申した。立派なやつだ」と、信綱をほめたのです。

それ以降、信綱に目をかけ、出世の面倒を見てやったのです。


現代のビジネス社会でも、不祥事を起こしたものの、それを公表するのが遅れたり、世間から隠そうとしたために激しく非難される経営幹部がいます。

そのために信用を失って、会社の業績が傾いてしまった、というニュースもよく聞きます。

もしもっと正直に、もっと早く、自分の非を世間に公表していたら、損害も少なくて済んだのではないかと思わせる事件も少なくはありません。

ミスや失敗は正直に早く報告しましょう。

それが信用を得る方策です。


植西聰氏の『心にブレーキをかけない生き方』PHP研究所



 誠実が信用を生むのでしょう。  

忍藩とは、そう今の行田市です。

本日の一話〈7月25日〉

マザーテレサの有名な言葉。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。


言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。


行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。


習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。


性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」


言葉になって現れる考え方。




「ツイてる」、「楽しい」、「ありがとう」、「感謝」、「幸せ」というポジティブな言葉を使うか、

「ツイてない」、「不平不満」、「グチ、泣き言」、「文句」というネガティブな言葉を使うか。


行動まで変わってくるのでしょう。

行動が変われば、習慣が変わる。

そして、習慣はいつしかその人の性格をも作る。


いつも、しかめっ面をして暗く生きるのか、笑顔で明るく生きるのか。

今日一日、笑顔で明るく生きようと思う。

 

本日の一話〈7月24日〉

私はよく本校の生徒たちにこう話す。

「自分だけ悲劇のヒロイン、ヒーローを気取るな!

生きてる奴は、大人も子供も、みんな思い十字架を背負って生きてんだ!」

一度、親が離婚している境遇にあり、少し素行の悪い女子生徒から、「親が離婚した子供の気持ちがわるかるか!? 」と泣きながら言われたことがあった。

私は、「わかるわけねぇだろう!俺の親は離婚してねぇよ、馬鹿野郎!」と答えた。

その女子生徒は一瞬面食らった顔をしたが、私はこう続けた。

「お前、予想外の言葉に驚いてんだろう。

これが俺の本心だ!

神様じゃあるまいし、自分の経験したことないことまでわかるか!

でもな、これだけは絶対に理解しろ!

お前の親が離婚してようがしてまいが、社会に飛び出したら何の関係もない。

社会に出たら、お前個人だけを見て判断される。

乗り越えるしかないんだよ。

お前の幸せな人生は、乗り越えた先にあるんだよ。

乗り越えるというのは、忘れることじゃないぞ。

覚悟することだ。

親が離婚するっていうのは、子供にとっては重い十字架を背負うことになる。

その十字架を背負う覚悟を持つんだ。

俺の親は離婚していない。

でも俺は俺で、重い十字架を背負っている。

生きている誰しもが、重い十字架を背負って生きてるんだ。

顔は笑って、心で泣いて。

みんな歯を食いしばって一生懸命生きてる。

お前のお父さんもお母さんもきっとそうだ。

離婚したからって、子供のことを気にしない親がいるわけないだろう。

だけど、お前もそろそろ覚悟しろ。

お前から憎まれようが一向に構わんが、俺がいま言ったことだけはきちんと頭に叩き込んどけ!」

この話し方は私の話し方である。

もちろんいろいろな考えがあっていいと思うが、私は「情熱をぶつける」こと以外に子供の心を揺さぶる方法はないと考えている。

何とか理解してほしいという、祈りにも似た感情がそこにあることだと思う。


創成館高等学校理事長・校長、奥田修史氏の『ヤンチャ校長、学校を変える』(宝島社)より


筆者も言う「もちろんいろいろな考えがあっていいと思う」ある人には、「きつい、野蛮」などと感じてしまうこともあるでしょう。

いわゆるモンスターペアレント系では、どのように感じるのでしょう。

妙に行儀正しい、大人しくなってしまっている学校教育ですが、「私は「情熱をぶつける」こと以外に子供の心を揺さぶる方法はない」は、共感します。

 

本日の一話〈7月23日〉

戦後の日本は、あらゆる分野でアメリカの影響を受けています。

特にビジネスの分野がそうです。

極端な表現をすれば、アメリカのビジネスは短期決戦です。

企業業績も1年ごとの決算の良し悪しで、その成果が問われます。

これに対して、日本は本来長期決戦を得意とする国です。

戦前の企業経営者の精神的なバックボーンとなったのが二宮尊徳の教えです。

尊徳は幕末の農村改革で大きな業績を挙げましたが、その改革は10年の歳月を前提にして、自然の理を活かしながら、「積小為大」の手法でじっくり事を進めるという考え方がベースになっています。

この尊徳の考え方のほうが、地球環境を保護するという視点からも正しいことが、やっと最近のエコロジー(自然環境保護運動)の立場から理解されつつあります。

このことは個人の能力開発にも言えることです。

自分の好きなこと、得手を見つけたら、それに時間をかけて開発していくことが、その人にとって最も幸せな生き方になるのです。


社会教育家、田中真澄氏の『これからの時代の生き方』(ぱるす出版)より


二宮尊徳の言葉「積小為大(せきしょういだい)」の意味は、

小さな努力の積み重ねが、やがて大きな成果につながる、ということ。

小さなことをおろそかにしていては、大きなことはできない。

小さな努力を今日も積み上げようと思う。

 

本日の一話〈7月22日〉

『人生はすべて"無料体験レッスン"と考える』

出会った人はすべて、人生の教えを与えてくれる先生だと思う。

たとえ、自分より年齢がずいぶん若い人の発言であろうと、子どもの発言であろうと、学ぶべきところはあるはずだ。

つまり、自分以外の人はみな大切な「先生」なのである。

私が医学生だったとき、新生児集中治療室を担当していたある看護師は、どんな人をも自分の「先生」にするという素晴らしい人だった。

その看護師は、病院に入院中の赤ちゃんをも先生にして、「どうすればいい看護ができるのかを、この赤ちゃんから大いに学べました」と感謝していたものである。

人に教えを請うのは決して自分の弱さにはならない。

むしろ素直に頭をたれることが、自己成長のカギなのである。

ガミガミと文句ばかり言ってくる人でさえ、「この人は私に忍耐の大切さを教えてくれているんだ」と思えば、その人に対して腹は立たないはずだ。

なにせ忍耐力のレッスンを無料でしてくれる先生なのだから。

人の話を真剣に聞けなくなったら、あなたの心の広さはそこでストップしてしまったのだと思って間違いない。

何歳になっても成長を続けている人は、いつでも他人を自分の先生だと感じ、実際、素直に教えを請える人なのだ。


精神科医、ルイス・ターターリャ氏の『不思議なくらい 心が強くなるヒント』(三笠書房)より抜粋


「何歳になっても成長を続けている人は、いつでも他人を自分の先生だと感じ、実際、素直に教えを請える人」心に刻んでおきたいフレーズですね。

 

本日の一話〈7月18日〉

一燈園の天香さんと、最初の出会いの時、天香さんはポツンと、


「偉くならなくてもいい。立派にならなくてもいい。

人のお役に立つ人になることである」とおっしゃいました。


そして、

「求める心は淋しい。捧げる心は豊である」

ともおっしゃいました。


マザー・テレサ尼が、

「大きなことをすることではない。

いま目の前にある何でもない小さなことに、

どれだけ愛を込められるか、どれだけ真心が込められるか。

大事なことはそれだけです」

とおっしゃるのをお聞きしたとき、

「ああ、天香さんと同じだな」と思いました。


万人、万家のお幸せを祈り、真心を尽くせるかどうかです。

いま、どれだけ真心が尽くせているかということが大事なのです。


私は、それを自分の戒めとして守らせていただいています。


仏教で「菩提心」といいますが、

やはり、人のために何がお尽くしできるかということが、始めであり、終わりでもあるのだと思います。

石川洋氏の『生きる覚悟』(致知出版社)より抜粋




「大きなことをすることではない。

いま目の前にある何でもない小さなことに、どれだけ愛を込められるか、

どれだけ真心が込められるか。大事なことはそれだけです」


心に響きます。

目の前の小さなこと 愛、真心込めて今日一日過ごします。

 

 


森信三先生はこう語った。

 

人それぞれ役割は違います。

その役割とはその人らしく人の役に立つことです。

自分の人生の喜びは人の役に立つことによって得られるのです」

 

人の役に立つとは、何もボランティアをしよう、と言っているのではない。


自分の今置かれた立場、すなわち、仕事や生活の場で人の役に立つことをすることだ。

 

笑顔一つでも、そこに真心を込めればそれがまわりを明るくし、

人の役に立つことになる。

 

 

「目の前にある何でもない小さなことに、どれだけ愛を込められるか、

どれだけ真心が込められるか」

 

人をほっこりとさせる、「笑顔」、「愛のある言葉」、「感謝の言葉」...

 人の役に立つことを考えたい。

 

 

本日の一話<7月17日>

KDDIと住友商事が716日、ミャンマー連邦共和国における通信事業へ参入を発表。

両社は、シンガポール共和国に合弁会社を設立し、ミャンマーの通信機関「ミャンマー国営郵便・電気通信事業体(MPT)」は、事業協力や利益分配などを規定したこの共同事業に関わる契約を既に締結したそう。

今回の締結の背景には、住友商事のミャンマーにおける60年以上の事業実績、KDDIの総合通信事業者として国内外で培ってきた経験や技術力がミャンマー政府に評価されたことがあるそうです。

ミャンマーは約6500万人の人口、携帯電話の普及率がまだ約10%にとどまるため、今後大きな需要の増加が期待。


住友商事さんの60年以上の実績って凄いですね。

ミャンマーは、閉ざされた国、最近、開かれた国ですから。

日本の住宅が、どんどん世界へ出る時代も来るのかもしれませんね。

 

本日の一話<7月16日>

心理学者によると、他人を引き寄せる力を持っている人は、たしかにいるという。

この「対人関係の磁石」を持っている人がパーティや会合に出席すると、決まって知らない人から話しかけられる

驚くまでもないが、この磁石を持っている人は、内向的な人より外交的な人のほうが圧倒的に多い。

彼らが他人を引き寄せるのは、本人は気がついていなくても、しぐさや表情が「対人関係の磁石」になっているからで、まわりはそこに魅力を感じる。

興味深いことに、運のいい人ほど、この磁石にあてはまる振る舞いをしている。

私は、運のいい人と悪い人にインタビューしたときに撮影したビデオを数人の心理学者に見せた。音声は消したので、運のいい人か悪い人なのかは、ビデオを見ただけではわからない。

そのうえで、表情や振る舞いを評価してもらった。

笑った回数や、話している相手と目を合わせるアイコンタクトの回数、しぐさなど、「対人関係の磁石」に当てはまる振る舞いに注目したのだ。

運のいい人と悪い人の違いは一目瞭然だった

笑った回数は運のいい人のほうが二倍多く、アイコンタクトの回数もはるかに多かった

しかし、おそらく最大の違いは、身ぶりがどのくらい「開いている」か「閉じている」かという点だった。

「閉じている」身ぶりとは、たとえば腕や足を組むことで、相手から距離を置こうとする。反対に「開いている」身ぶりは、相手のほうに自分の体を向けて、腕や足を組んだりせず、てのひらを広げて相手に見せることも多い。

運のいい人が「開いている」身ぶりをする回数は、運の悪い人より三倍も多かった。


リチャード・ワイズマン博士の『運のいい人の法則』(角川文庫)より抜粋


相手の表情で取っ付きやすいか、にくいかって想像してもわかりますね。

運のいい人ってどういう人?

周囲の人たちの応援を、貰える人なのではと思います。

本日の一話〈7月15日〉


昭和20815日、ついに日本も終戦を迎えざるを得なくなった。

830日、マッカーサーは進駐軍総司令官として日本に乗り込み、

日本は軍政下におかれた。

ここでとりあげられたのが3R・5D・3S政策」であった。



これを機に、日本の様相は一変した。

まさしく「日本を消す政策」による変化である。

マッカーサーは、日本の占領にあたり、

管理する上での原則をこの「3R・5D・3S政策」においたといわれている。


3R 1.リベンジ(復讐)

2.リフォーム(仕組みを組み直す)

3.リバイブ(復活。アメリカの都合にあわすように生き返らせる)

5D1.ディス・アーマメント(武装解除)

2.デ・ミリタリゼーション(軍国主義の排除)

3.ディス・インダストリアリゼーション(工業力の除去)

4.デ・セントラリゼーション(国力の中心をなした財閥の解体)

5.デモクラタリゼーション(日本的民族主義からアメリカ流自由主義へ)

3S 1.セックスの解放

2.スクリーン(映画)

3.スポーツ


最近よく、「日本人が日本を知らない」と、いろいろのところで語られ、

マスコミも機会ある毎にとり上げたりしている。


日本人が歴史的に堅持してきた「日本のこころ」を身につけていないということであろう。

このような戦後の異様な状況から日本否定の自虐的価値観が生まれ、

それに裏づけられて、「日本を見ない教育」「日本を消す教育」が

当然のように推進されるに到った。


戦後50年が過ぎ、西暦2000年を迎えると、

この危機的状況に対し、世の識者たちも何とかしなければと、

やっと危機意識を高めはじめた。

その一人が、台湾の初代民選総統の李登輝氏である。

李登輝氏は戦前、日本人として育ち、日本の教育を受け、

さらに京都大学で学び、日本の軍隊に志願入隊し陸軍少尉として兵役に服した。

氏は、「まことに残念なことに昭和20815日以降の日本においては、

そのような"大和魂"や"武士道"といった日本・日本

人特有の指導理念や道徳規範が根底から否定され、

足蹴にされ続けてきたのです」と日本の立場に同情しつつも、

「日本および日本人が『過去を否定する』自虐的価値観を捨て、

『日本および日本人の醇風(じゅんぷう)美俗』

『敷島の大和心』、もっと単刀直入にいえば

『武士道』について『大覚醒』してほしい」と直言しているのである。

では、なぜそう望むのか。

それは二つの理由にまとめられるという。


一つは、日本国が世界の「人類社会そのものの羅針盤」の役割を果たすためであり、

今一つは、日本社会のいろいろな腐敗現象を克服するためである...と。

兵庫教育大学名誉教授、

上寺久雄氏の『「日本のこころ」の底ぢから』(毎日ワンズ)より



先日、台湾の方の講演を聞く機会がありました。

多くの台湾人は、日本人を尊敬している。

西洋の搾取的な植民地支配とは異なり、

日本の統治下では、ダム建設などインフラ整備なども行われた。


そして、何より日本人の人となりを尊敬していた。

今の日本の状況を聞くと心配になることがあると。


「醇風美俗(じゅんぷうびぞく)」とは、

素直で人情に厚い美しい生活態度や風俗習慣。

失った?日本のこころを、今一度見直したいものです。

本日の一話〈7月14日〉

キリスト教では、

「その通り」「神さまのおっしゃる通り」という意味で

お祈りの最後に「アーメン」と言います。

それでみんなが安心するのです。


仏教の浄土真宗系の人は、

お経の終わりに「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と念仏し、

最後に「南無阿弥陀仏。」と「。」がついた念仏を称(とな)えて安心します。

これで「大丈夫だ」と思えるのでしょう。


いつの頃から、私も診療を終えた子どもたちに、必ず「大丈夫。」と言っているようです。

私はこれまで、友人にだまされて借金ができても、

子どもが受験でうまくいかなくても、

「どうにかなるだろう」と思って暮らしてきました。


今後、何か起こるかもしれないけど、

それでも、「まあ、大丈夫だろう」という根拠のない大丈夫感には自信があります。

人間は、常にさまざまな状況に直面します。

そんなときに、「もうだめだ、もうだめだ」と思っても大丈夫だったから、

その人は今まで生きているわけです。


「もうだめだ」と思うよりは、

「大丈夫」と思って生きているほうが絶対にいい。

「大丈夫、大丈夫」と言うときに、

私たちは「大丈夫。」の中にお祈りの気持ちを込めていいます。

そういうお祈りの気持ちが入っているような「大丈夫。」が

与える信頼感で結ばれた人間と人間のつながりが、とても重要だと思います。


不安や疑問を抱いている人にとっては、

大丈夫感を持つ人から「大丈夫。」と言ってもらえることが安心のもとなのです。

だから、「大丈夫。」もお祈りの一つなのです。


聖路加国際病院小児総合医療センター長、

細谷亮太氏『きっと「大丈夫。」』(致知出版社)より抜粋



『きっと「大丈夫。」』魔法の呪文になるかもしれませんね。

本日の一話〈7月12日〉

今や世界中のリーダーが愛読している『孫子の兵法』

この書こそ無駄な戦いを避ける極意の集大成だ。

その中に、

「敵の10倍の戦力であれば、敵を包囲すべきである。

5倍の戦力であれば、敵軍を攻撃せよ」とある。


戦いの場では相手の5倍の力がついて初めて好戦的になってもいい。

勝ち目のない戦いには臨まず、圧倒的に勝てる態勢を作って、

できたら戦わずに勝つのだ。

これが実践されているのが、実は動物の世界である。

彼らの世界では強い者が生き残るという考えがある。

しかし、これは大きな間違いだ。

正しくは、「環境に柔軟に対応する者」が生き残る。


同じ種の中で体が大きく戦闘的な者が生き残るわけではないのだ。

コオロギを使った実験で興味深いのが、臆病で戦いを避ける者が、

戦闘的な者より生き残る確率が高いこと。

むやみやたらに戦わず、

体力を温存して、健康体を保っているものが生き残り、

メスとの出会いをつかみとり、子孫を残す可能性が残されているのだ。


縄張りや異性を巡る戦いで、戦闘的で用心深さがない個体は、戦いすぎて疲弊してしまう。

アグレッシブな人間が多いと思われている欧米では、

過剰に戦闘的な人間の評価は芳(かんば)しくない。


ハリウッド映画の中で、

さまざまな業界で活躍する主人公たちが激しくライバルや上司と衝突するシーンがあるが、

現実では珍しい光景だから映画やドラマで取り上げて表現しているのだ。


自己主張が激し過ぎる人やすぐに感情的になる人は、

ビジネスパーソンとして未熟という烙印を押される。


むやみに戦わないほうが、

人生というサバイバルレースでいい結果を生むことがあるのは、

動物の世界でも人間の世界でも一緒なのだ。



田村耕太郎氏『頭に来ても アホとは戦うな!』(朝日新聞出版)より




中国、韓国と日本の関係は非常にギクシャクしていますが、

日本は冷静であってと願います。

本日の一話<7月11日>

「才能の差は小さい、行動の差は大きい、継続の差はもっと大きい。」


居酒屋「 てっぺん」の創業者、大嶋啓介氏の言葉。

居酒屋「てっぺん」の朝礼は、有名ですね。

テレビなどでも取り上げ挙げられています。


朝礼で一気にテンションあげるのも悪くはないが、

自分的には、徐々にテンション上げるというか、

仕事モードに切り替え、暖気が終わる頃、スイッチをパチッと入れスタートが好き。

だから朝礼は、やらない。

それぞれのタイプ、ペースもあるでしょうし。

話は戻り「才能の差は小さい、行動の差は大きい、継続の差はもっと大きい。」


才能の差は、確かにある。

但し、才能で全て決まるわけではない。

その人の行動で決まる。


今日一日、どんな行動する予定ですか?

本日の一話〈7月10日〉

江戸中期の医者・中神琴渓(なかがみきんけい)の話を集めた『生生堂雑記』に、こんな話が載っている。

昔、洛陽に一人の病人がいた。

長いこと、いろいろな医者に治療を受けたのに、少しも良くならない。

それどころか、医者を変えるたびに、ますます身体の具合がおかしくなっていった。

そんなにして十三年も経つうちに、病人は薬を飲むのがつくづく嫌になり、あるとき勝手に薬をやめてしまった。

すると、かえって身体の具合が良くなり、長年の病気が二ヶ月ばかりですっかり良くなった。

その病人が言いうには

「班固(はんこ)という人が、『病気になっても薬を飲まなければ、まともな医者にかかったのと同じことだ』と言っているが、全く本当だね」

そもそも、病気というものは、百人のうち八、九十人は自然と治るものだ。

だからこそ、医者はもっともらしい顔をして商売ができるのだ。

軽い病気を重くしてしまう医者がいなくなれば、天下の病人の八割は減るだろうと、すでに江戸時代、中神は医原病を見抜いていた。

最近は、一緒に食事をすると何種類もの薬を飲む人が多くて驚かされるが、あまりにも薬に頼り過ぎる現代人にとって、この話は一つのアンチテーゼではなかろうか。

太田典生氏の『毎朝「一話」出勤前に読む本』(三笠書房)より

全部の病気に当てはまるか疑問ですが、知り合いの薬剤師2人とも口を揃えていうのは、「そもそも薬は毒。極力飲まない」という。

自身の治癒力、生命力を高く維持することが大切という。

住まいは、そんなことにも関係、影響しています。良い住まい環境、気持いい快適な環境。

住まいを元気に、住まいから元気に!

本日の一話〈7月9日〉

私は、人間にとって本当の幸せは、光の下にいることではないと思う。


その光を遠くに見据えて、それに向かって懸命に走っている、

無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。


光と影。

それが、40年間建築の世界で生きてきて、

その体験から学んだ私なりの人生観である。


建築家、安藤忠雄氏の言葉。



安藤氏はきっと、常に前方、遠くの光、目標、

向かうべきところを見据えて、懸命に走り続けているのでしょう。

今も。

走り抜けた跡に多くの偉業があった。


あなたの光とは、どんなこと?

本日の一話〈7月8日〉

コンビニエンスストア出店は、今年も止まらないようです。


国内5万店は「飽和水準」と業界では。


すでに大手コンビニエンスストア10社の店舗数は5月末現在で、5万480店、飽和水準を超えている。

国内でコンビニの本格展開が始まったのは40年前。

イトーヨーカ堂が米国のセブンの運営会社とライセンス契約を結び、1974年5月、東京都江東区にセブン1号店を出店した。

翌年にはダイエーがローソンを設立し、81年には西友ストアー(現西友)のコンビニ事業を引き継いでファミマが発足。

大競争時代が始まり今に至る。

年間売上高はというと約9兆4000億円に上り、百貨店を約3兆円上回るという。

セブン-イレブンやファミリーマートの今年度の出店計画は、いずれも過去最高の1600店。

高齢化に対応した宅配サービスなど時代のニーズを取り込みながら、新たな出店余地を開拓し続けている。

今ではセブンは現在、海外15カ国に3万6000超店舗。

05年には本家、米国のセブン-イレブンを逆に子会社化。日本型の運営手法を注入。

業績を向上させた。

他社もアジアを中心に日本モデルのコンビニ輸出を進めているというからたくましい。

確かに、街で新築中のコンビニを見つけると、「まだここに作るか」みたいな感があります。

コンビニにより多いのは、歯医者さんということ驚きです。


どんな業界も熾烈な競争が行われているのですね。   

本日の一話〈7月7日〉

『一刹那正念場』

一刹那(いちせつな)とは一瞬ということである。


正念場(しょうねんば)は歌舞伎からきた言葉。

一曲・一場の最も重要なところ、ここぞという大事な場面を指す。


一瞬一瞬を人生の最も大事なところ、人生の勝負どころ、

本番と捉えて真剣に生きよ、と教えている言葉が一刹那正念場である。


人生は山登りに譬(たと)えらえる。

山登りには登る人と下りる人がいる。

それは年齢ではない。


90%の人は山を下りている。

90%の人は力を出し切っていないからだ。

人生の山を登っている人は10%」

と言うのは人材教育家の井垣利英さん。


なるほど、と思う。

そういえば明治期のリーダーたちは、

「自分が一日怠ければ、日本の進歩が一日遅れる」という気概を持って生きていた。


当時の日本には山を登っている人が多かった、ということである

井垣さんはこうも言う。

1間は1分が60回。1日は1間が24回。ひと月は1日が30回。

1年はひと月が12回。10年は1年が10回」。

10年後どんな自分になっているか。

何となくいまよりもよくなっている、と思っている人が多い。


しかし、いまの生き方がそのまま10年後のその人の生き方であり、

年を取った分だけ人生は下り坂になっている。

そうならないためには、いま目の前にあることに全力を尽くすこと、

その姿勢を習慣にすること...井垣さんの言葉は一刹那正念場に生きる大事さを説いてあまりある。


『月刊致知 21048月号』(致知出版社)藤尾秀昭氏より抜粋



今日という一日を、大切にしようと思います。

本日の一話〈7月5日〉

心に響く言葉より...

 


冷蔵庫の奥にしまったままで、その食品の存在をすっかり忘れ、

気がついた時には賞味期限切れになっていた。

 

君もそんな経験をしたことはないだろうか?

 

賞味期限の切れた腐ったものを食べれば、当然のことながら腹を壊す。

 

これは食品に限った話であるが、

実は人の固定観念にも、賞味期限切れの食品と似たようなところがある。

 

 

世の常識、非常識といったものは時代とともに移り変わる。

 

ということは、その時にでき上がった固定観念も、

時間が経てば通用しなくなるということである。

 

 

固定観念の話をもっとわかりやすく説明しよう。


 

幾人かで危険なジャングルを探検していたとする。

目的地に向かっている途中、メンバーの前に川が現れた。

泳いで渡れるような川ではなかったので、メンバーたちは協力して木を切り、橋をつくった。

 

橋を渡り終えた時、メンバーのひとりであるA君がこう言った。 

「この先にはきっとまた川が現れるはずだ。その時のために、この木をみんなで担いでいこう」

だが、言うまでもなく、そんな重い荷物を背負って険しいジャングルを進んでいくのはとても危険なことだ。

 

すぐに川が現れるとも限らないし、

荷物を運んで動きが鈍くなったところを野生動物に襲われでもしたら命にもかかわる。

 

要するに、その時にした努力はそこで捨て、また次の一歩を踏み出せばいいだけのことなのだ。

川が現れたらみんなで木を切ればいい。

 

その方が常にフットワーク軽く歩いていくことができる。

 

このジャングルの話をいまの社会に置き換えると、

学ぶことで得た「知識」や、業績を上げたことによって得た「地位」などがこの「橋」に当たる。

 

現代人は飽きもせず「得ること」ばかり夢中になっている。

 

日頃から置いていく、

すなわち「失うこと」や「捨てること」に意識が向けられるのであれば、

知識や地位に執着することもなくなるし、

現代人にありがちな被害者意識のようなものも薄まっていくことだろう。

 

 

自分がどれほど賞味期限切れのものを抱えているか、いま一度よく確かめてみてほしい。

 冷蔵庫の奥に忘れ去られた食品のような「観念」がきっといくつも見つかるはずである。

 

運もツキも、腐ったものがあるような"気持ちの悪いところ"には決して近づいてはこない。

賞味期限切れの観念を見つけたら、迷わず捨てることだ。

 

『運は「バカ」にこそ味方する』スフトバンク文庫

 


 

自分の観念、価値観は、時代に合っているのか

自分の環境に合っているのかと

立ち止まって考えてみること必要ですね。

賞味期限を確かめること。


食品には、賞味期限が誰でもわかる日付が記させているが、

観念には、日付は記されていません。


どうやって賞味期限を確かめるのでしょう。


あなたならどうしますか?

 

本日の一話〈7月4日〉


一瞬にして悪運を強運に変えるわけにはいきませんが、

生活態度や仕事に取り組む姿勢を改めれば、

次第に強運体質になるものです。


「強運の人はいつも周囲に助けられる」といいますが、

実際は反対で、周囲の人たちは、強運の人々にぶら下がりたいからこそ、助けるのです。

だから上位の人たちは、常に強運の部下を探しています。

かりに現在、強運でなくとも、

「あいつ、近頃変わってきたな」と思われるだけでも、運はつきはじめます。


「顔つきが明るくなったね」と周りからいわれるようになったら、

それだけで、運が回りはじめたと考えていいでしょう。


「YES話法」といって、常に相手の言葉を肯定していくだけで、

場が明るくなるし、あなた自身も大きくなります。

いつも「それは違う」とか「だからダメなんだ」というように、

「NO話法」を使っていたら、顔つきが暗くなって当然でしょう。


言葉の遣いかたひとつでも、周囲が全員、味方につくものです。

自分の力ではなく、周囲の力を借りるつもりになれば、

あなた自身の顔つきが変わるに違いありません。


櫻井秀勲氏の『愛敬の法則』(KKロングセラーズ)より抜粋



「運」というものは、スピリチュアル的なものではないと思っています。

世の中の出来事には、必ず原因と結果があると言われます。

この「原因と結果」の話だと思います。


「運」と近いものでシンクロニシティということがあります。

これは「意味のある偶然の一致」のことで、

日本語訳では「共時性(きょうじせい)」とも言われます。


カール・ユングによって提唱された概念で

非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、

従来知られていた「因果性」とは異なる原理。 


何か複数の事象が、「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、

このような複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、

従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、

随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見なすということらしい。

わかったような、わからないような。


従来の因果性ではないが、

因果はあるということと理解しています。


いずれにしても、良い因を積むことですね。

本日の一話〈7月3日〉

あなたは猫派?それとも犬派?大きくこの二派ありますね。

これは、どちらが好きというものかな。

世の中には、犬は全くダメ、受け付けない、嫌という人もいます。

逆に、猫はダメ、嫌い、アレルギーという人もいます。

なかには、両方嫌いという人もいるでしょう。

両方好きという人もいるでしょう。

どれが悪く、どれが良いはない。


その人の価値観が、それぞれ違うだけ。

ただ、ある枠を付けると、その枠の中で合う、合わないということが出てくる。


例えば、犬も猫も嫌いという人が、ペットショップの店員という仕事が合うでしょうか。

どんなに一般的な接客がうまくても合うとは言い難い。

一番合うのは、両方とも好きな人のはずです。

多少接客が下手でも、楽しんで仕事ができそうです。

そして、それがお客様に伝わるでしょう。


話は変わりますが、最近、スタッフ求人面接の時に重要視しているのは、

技術、経験よりも価値観が、当社に合うのかということです。


技術、経験は後から磨き、積むことはできます。

ただ、価値観はそう簡単には変わりません。


「住まいを元気に、住まいから元気に!」

住まいを整え、磨きそこに住まう人を元気に、

幸せにしていこうという仕事を楽しんでできるか、

職場で楽しめるか。

本日の一話〈7月2日〉

「将来の夢」

ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。

世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。

だから、今、ぼくはガンバッている。

今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。

そして、世界一になったら、大金持ちになって親孝行する。

Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。

そしてレギュラーになって10番で活躍します。

一年間の給料は40億円はほしいです。


プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り、

世界中の人が、このぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。

一方、世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。

セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。

ブラジルと決勝戦をし21でブラジルを破りたいです。


この得点も兄と力を合わせ、世界の強ゴウをうまくかわし、

いいパスをだし合って得点を入れることが、ぼくの夢です。


~本田圭佑選手の小学校の卒業文集~



イチロー選手の卒業文集も有名ですが、さすがです。

「なりたいと言うよりなる」明確ですね。

本日の一話〈7月1日〉

脱皮しない蛇は破滅する。

人間もまったく同じだ。
古い考えの皮をいつまでもかぶっていれば、やがて内側から腐っていき、成長することなどできないどころか、死んでしまう。
常に新しく生きていくために、私たちは考えを新陳代謝させていかなくてはならないのだ。

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ氏の言葉。

世の中はどんどん変わっていく。
そのスピードは、どんどん早くなっている。
様々な情報を得て、それを取捨選択する能力がより必要とされていくのでしょう。
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