ALPHAN有限会社

2014年8月アーカイブ

本日の一話〈8月29日〉

僕は以前、トランプを切りながら、めくったカードの種類をいい当てる実験をやったことがあります。

トランプは「ハート」「スペード」「ダイヤ」「クローバー」の4種類。

めくって1種類のカードが出る確率は4分の1、つまり25%です。


10回、50回、100回と続けると、当たる確率は25%に落ち着いてきます。

ところが、1000回、1万回、5万回と、気の遠くなるような回数を淡々と行っていると...

な、なんとその確率が徐々に上がってきて、とうとう90%を超えました。

1日半、ぶっとおしでやり続けた結果です。


もう意識がもうろうとしていました。友人にも半日トライしてもらったら、

やはり70%くらいまで確率が上がったといっていました。

すごい!

我々がもし感情を持たないロボットならば、

どんなに回数を重ねても、25%の確率は変わらないでしょうが、我々人間は意識体。

いろいろな思いを持つことができ、同時に思いの確率を高めることもできます。


何か願いを叶えたい場合、「~なりました。感謝します!」という魔法の言葉のつかい方があります。

叶えたい願いとなると、通常はどうしても過剰な念や欲を含んでしまうもの。

でも、「~なりました」の後に「感謝します」や「ありがとうございます」といった感謝の言葉を続けることで、

その念や欲を軽減させる効果があるようです。

そして、やがて「~なりました」が自然と力まずに思えるようになったとき、もう魔法の言葉は必要なくなるかもしれませんね。


とにかく、何か夢や望みがあるなら、それが叶ったイメージをしっかり持って、感謝し続け、ひたすら努力すること。

ちょっとやっただけで「何もいいことが起こらない」とすぐにあきらめる人がいますが、ぜひ、そのまま続けてみしょう

どんどんと叶いやすくなるはずです。


五日市剛氏の『なぜ、感謝するとうまくいくのか』(マキノ出版)より抜粋



何か願いを叶えたい場合は...

「○○しました。ありがとうございました」

と叶ったものとして先に感謝してしまうといいと聞きますね。

本日の一話〈8月28日〉

何か面白く楽しい情報があったとき、それを教わった人が開口一番で否定的なことを言った瞬間に、

その情報を持ち込んだ人は、シュンとしてしまうのです。

そして、これ以上のことを言ってもまた冷たく否定的な言葉が返ってくるだけなんだと思ったときに、

もう二つ目、三つ目の情報は話さなくなります。


この人に対して何か楽しそうな情報や役に立ちそうな情報を持ち込んでも、

多分、役に立たないだろうと思ってしまうのです。


謙虚であるということは、

自分以外の人が何が面白い情報や、楽しく新しい情報を持ち込んできたときに、

「それで、それで」と言って聞く立場になること。


つまり、自分の中に吸収しようとする心があること、

常に好奇心や関心・興味があることが謙虚さの一つであるのではないでしょうか。


自分の中に、ある程度の勉強をしてきて、そんなつまらないことには関心がないという場合に、否定的で冷たい反応になるのだと思います。

で、開口一番そういう言葉が出てくるのでしょう。

その結果として、そこから先の話は進まなくなります。


謙虚であるということは、相手の話や情報をなるべくたくさん聞き入れて、自分が大きくなること(広がること)です

謙虚に、興味を持って人の話を聞けば、相手は多分もっと話をしてくれます。

そして、そのたくさんの話の中から自分の感性に合うものだけを取り入れればよい。


その一つ一つの情報について、気に入る、気に入らない、と目の前で感想を言うことは意味がないでしょう。

「なるほど、そうですよね。それで、それで」というふうに、笑顔で相手の話を引き出すこと。


これこそが謙虚さであり、

なおかつ、もっとも自分が得する立場というものではないでしょうか。


小林正観さんの『ただしい人から たのしい人へ』(弘園社)より抜粋



『ただしい人から たのしい人へ』

「だ」と「の」一字違いですけどね。


正しさだけでは、、、、ということなんでしょう。

 

本日の一話〈8月27日〉

カミソリのように鋭い感性をもち、芸術至上主義者でもあった芥川龍之介が次のような言葉を残している。

「人生を幸福にするためには、日常の瑣事(さじ)を愛さなければならない」

人生とは瑣事の連続なのである。

瑣事は瑣事だから、いちいち気に止めないし、記憶にも残らない。

また一つ一つはむつかしくもない。

だが、そのような瑣事を愛し、きちんとこなしていくには、やはりそれなりの努力と才能がいるのである。

よく会社にこんな人物はいないだろうか。

地味で控え目で、とくにすぐれた才能の持主でもないのに、気がついてみたらけっこうな出世をしているような人である。

「なんであんな人が常務になるのか」「きっとゴマスリがうまかったんだろう」とんでもない見当ちがいだ。

そういう人は会社の瑣事の処理がうまいのである。

反対に社史に残るような大口の契約をとったような人間が、意外と冷や飯を食わされたりすることがある。

見かけは派手だが会社にとっては、瑣事をまちがいなく迅速に処理できる人間のほうが有益な場合も少なくないのである。

ここから一つの生き方が出てくる。

どう見ても自分が特別すぐれた能力の持ち主でないと思う人は、徹底して瑣事にかかわるのだ。

会社の仕事の90%は瑣事である。

その瑣事をこなせる人間は、派手な働きをする人間に劣らない有用な人材として評価される。

同時に瑣事をバカにしてはいけない。

瑣事は決して瑣事ではないからだ。

ときに歴史を変える大きなきっかけにもなる。

木下藤吉郎が主君信長に認められるきっかけは、例の草履を暖めたという瑣事からだ。

その藤吉郎が豊臣秀吉になってから重用した石田三成も瑣事処理の名人だった。


川北義則氏の『逆転の人生法則』(PHP)より抜粋


やや意味合いは違うが、「凡事徹底」ということ大切だと思っています。

「凡事」たいそうなことではない当たり前の事を「徹底」して行っていく。

徹底とは、継続していくこと。

これが意外とできないのが人間ですね。

本日の一話〈8月26日〉

ソニーが不動産仲介業に参入!

その名も新会社「ソニー不動産」。

今月から営業を始めたそうです。

ビッグデータを活用するなど得意の情報技術を駆使し、不動産業界の慣例を破る手数料設定にしたというです。

不動産業界では、土地や建物の売買を仲介した場合、一定割合の手数料を受け取るのが通例です。

しかし新会社は、サービス提供にかかった費用を計算して手数料を決める。

例えば、不動産を買う客が紹介してもらう物件の数を絞れば安くなる。

また、対応する営業員の経験に応じても価格が変わる。

問い合わせも電話ではなくインターネットを選ぶと、手数料が安くする。

当面は首都圏の4都県で営業し、順次拡大する。

ソニーは新事業の育成に力を入れていて、不動産仲介業への参入はその第1弾だそうだ。

ちょっとびっくりでも、よく考えればソニー生命もありますしね。

 

本日の一話〈8月25日〉

中国で「カレーライス」ブームが起きている。

経済発展で食文化が多様化した都市部を中心に、家族そろって楽しめる中華料理以外の新しい味として受け入れられるシーンが広がっているという。

トップを走るハウス食品は、9年前に発売した「バーモントカレー」が好調で、この間に中国での売上高は21倍も伸びた。

「日本人の友達の家に遊びに行ったときに食べたカレーライスの味が忘れられなくなり、母親に頼んでよく 作ってもらうようになった」

上海市内で今月開かれた販促イベント「カレー王国」会場で中学2年の曹濛(そうきんもう)君は目を輝かせた。

メーカーの担当者は中国各地でスーパーの店頭に立ち、肉や野菜を切ってルウに入れるところから調理方法を丁寧に教えて試食してもらい、カレーの楽しさを伝えてきた。

カレーはインド風の辛みだけだと考えていた中国の消費者に、子供も食べられる日本式のまろやかな味を紹介するだけでなく、中国人好みの香辛料「八角」入りのルウを現地で商品化するなど工夫し、根気強く主婦層に売り込んできた。一時は日中関係悪化が足かせになるなど、市場の開拓は一筋縄にはいかなかった。

ハウスなどは各地にある日系企業の従業員食堂にカレーメニューを提案したり、上海などでカレーレストランチェーンを展開したりして、あの手この手で中国人に味を訴えてきた。

日本の食品メーカーによる中国市場での地道な努力は、ようやく実を結び始めたようだ。


産経新聞記事より抜粋


もともとインドの食文化のカレーですが、さながら日本の食文化のよう。

世界に広がり人気を集めている日本の「ラーメン」もしかりですね。

華僑、印僑など言われますが、和僑はたくましいですね。

本日の一話〈8月22日〉

ある講演会場に、三年前に夫を亡くし、いまも泣いているという五十代の女性がいました。

この女性は、亡くなった夫をとても大事に思ってきたのです。

その思いと、他人との差が大きければ大きいほど、辛さが大きくなるようになっています。

この女性のように「特定の人しか認めない」という考え方だと、宇宙の法則として少ない量の愛情しか流れ込んできません。

「投げた量」「戻ってくる量」なのです。

人間は、目の前にいる人がすべて大切で、同じ重さを持っています。

講演会場で、見ず知らずの人が隣に座っていたとします。

この人とはきょう、初めて会うと思っているかもしれませんが、実はお互いが生まれる前に、隣り合って座ろうと約束してきました。

お釈迦様の言葉に、「対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)」というものがあります。

対面し、同席している人は、最低でも五百回、人生を一緒に過ごしているという意味です。

縁のある人は、これまで前世で何百回と一緒に過ごしてきた仲間です。

家族や恋人だけが特別という考え方をやめて、目の前の人をすべて同じように見られるようになると、神様や宇宙が味方になり、素晴らしい人がどんどん現れてくれます。

周りに投げかける量が多くなればなるほど、大量のお返しをいただくようになります。

そういう人に、神様や宇宙は無限の支援を与えるようです。


小林正観さんの心『笑顔で光って輝いて』(実業之日本社)より抜粋


「投げた量」が「戻ってくる量」この宇宙の法則は、色々なことに当てはまるのかもしれませんね。

「対面同席五百生」

本日の一話〈8月21日〉

顔というものは、とても不思議なものです。

顔の造作もよく整い、本人も自分の器量に自信があり、ふだんのお手入れも怠りなくしている。

それでいて少しくも美しくなく、むしろ嫌悪感さえ与えるという顔もあります。

逆に顔だちはそれほどの美人ではなく、ときには化粧では隠しきれないほどの痣(あざ)があるけれど、何かひかれる美しさを、思わず振り返りたくなるような明るさや温かさをたたえた顔があります。

明治の女流歌人・与謝野晶子(よさのあきこ)の生まれつきの器量は、あまり恵まれていなかったそうです。

それが晩年の晶子はほれぼれするほどに美しかったと言います。

堺の旧家のいとはん(お嬢さま)として育った晶子が、与謝野鉄幹を慕って家出、たくさんの子供をかかえ、貧困にあえぎながら夫の鉄幹を励まし歌や文学の道を生き抜いた厳しい生きざまが、晩年の晶子を、いぶし銀のような美しさに磨きあげたのでしょう。

40歳になったら、自分の顔に責任を持て」

といったのはアメリカ大統領のリンカーンだったでしょうか。

私も人格は行為の集積であり、自らの毎日の行為によって彫り上げていくもののような気がします。

親からいただいた顔や体を素材として、物心つくその日から何を思い、何を語り、何をしたか、言葉には表さない心の深層に秘めたわずかな思いまでも、そして誰も見ていないところでのささやかな行為までもが、一分(いちぶ)のごまかしもない彫刻刀となって私やあなたの顔や姿を彫り、人格をつくりあげ、衣装や化粧ではごまかしきれない美醜の差となって顔にあらわれるのが、40歳代ではないでしょうか。

私自身も、美しい人になりたいと、心から思います。


"青山俊董・愛知専門尼僧堂堂長"の『幸せは急がないで』(知恵の森文庫)より抜粋


まもなく50歳代に入る私です

気になりますね。

本日の一話〈8月20日〉

親切にしたのに、恩を仇(あだ)で返される、約束したのに裏切られる...

心の底から「くやしい!」と思ったことがあなたにもきっとあるはずだ。


そういう時は、どうした?


相手に何とかして「思い知らせてやりたい!」と思わなかっただろうか。

人間は「仕返し」をしたいと考える生きものである。

大きいことから小さいことまで、自分にイヤなことをした相手に「仕返し」をしたいと思うし、実際に仕返しする人もいる。


古今東西の小説でも現実の世界でも、「仕返し」という悲劇は生まれている。

なぜ仕返しを考えるのか。

それはスッキリしたいからだ。

でも、この「仕返し」ほど運を悪くさせることはない。

仕返ししたい気持ち、つまり復讐心は、

悪魔が仕掛けた大きく深い落とし穴といってもいい。


私の友人に、抜きん出て歌のうまい女性がいた。

才能を磨けば、一流の歌手になれそうなほどだったが、そのころ、彼女は両親との仲がひどく悪かった。

その両親は、彼女が聖歌隊に入ることを望んだ。

彼女自身も入りたかったのだが、彼女は親への反応が強かったので「思い知らせてやる」つもりで、とうとう入らなかった。

おかげで彼女は、持って生まれたすばらしい才能に磨きをかけるチャンスを逃した。


腹の立つ相手に「思い知らせて」やると、たしかに一時的には気分がいいかもしれない。

だが、結局損するのは仕返しをしたほうだ。


なぜ、そのことに気づかないのだろう。


私だって、頭にきているときには、相手をやっつけてやりたくなる。

だが、腹立ちまぎれの仕返しは、「自分のためにならない」。


一歩退いて、悪魔の落とし穴をよけて通ろう。

そうすれば「私は賢明で強い人間だ」と自信が持てる。


リチャード・カールソン氏の『運がよくなる77の方法』(浅見帆帆子訳)王様文庫より抜粋



人間の持つさがなのか。

気をつけたいものです。


本日の一話<8月19日>

ピンチは、その人の本質を浮かび上がらせます。

人間として未熟であり、まだまだ練られていない人は、どれだけ取り繕ってみても馬脚を現してしまうのです。

人は逆境にあるとき、自分に押し寄せる荒波に押されて、気も弱くなってしまいがちです。

しかし、忘れていけないのは、そんな時であるからこそ、見る人は見ているということです。

葉隠にはこうあります。

「成富兵庫など七度浪人したということである。起き上がり人形のように思わなければならない。主人も試すつもりで浪人を言いつけることがあるだろう」

成富兵庫とは佐賀鍋島藩の家老であり、加藤清正が一万石で召し抱えようとしたほどの人材です。

その成富兵庫にして、七度浪人した。

というよりも、浪人したからこそ、それだけの力を身につけたということなのかもしれません。

人事には当然ながら意図があります。

成長する部署につくものがあれば、反対に立て直しを図るための人事もあります。

本人にとっては、不本意に思えることもあるかもしれません。

しかし、そんな時だからこそ、見る人は見ています。

「やはり、そこまでの人材だったか」「なかなかやる。見直した」

どちらの感想を持たれるかは、その人の心がけ次第です。

調子のいい時は、誰でも頑張ることはできるのです。

逆境のときであるからこそ、笑顔で頑張る。その姿が人の心を動かすのです。


明治学院大学教授、武光誠氏の『「葉隠」に学ぶ誇り高い生き方』(成美堂出版)より抜粋


人が一番学びを得られるのは、体験、経験。それも、つらい、厳しいこと、と思う。

本日の一話<8月18日>

大勢で集まって、テーブルを囲んで仲良く談笑しながら食事する。

これは人類だけの特権である。

99パーセントの動物は「共食(きょうしょく)」をしないそうだ。

チンバンジーがいくらか共食することがある程度。

あとは、サルでもエサを持ったらサッと仲間から離れて、ひとりで食べる。

のんびりしていて、他のサルに取られてしまってはたいへんだ。

これは自己防衛本能の表れである。

人間の場合、人といっしょに食事をしなくなったら要注意。

心の病の始まりのサインだ。

家族の食事が終わってから自分の部屋から出てきて、ひとりでゴソゴソと冷蔵庫を探っている

こうして「孤立」を続けていると、だんだんと他人がコワクなってくるものだ。

そのうちに、どこへも出かけられず、ひとりで閉じこもってしまう。

私の病院にも食堂があるが、重症の患者さんは食堂にも出られない。

部屋でひとりで食事をする。

少しよくなれば食堂に行くが、食堂でも隣の人にわきめもふらず、ひとりで黙々と食べている。

もう少しよくなると、隣に座った人としゃべれるようになる。

もっとよくなれば、談笑できる。

仲間といっしょに食卓を囲んで談笑する。

普通の人から見れば何でもないことだろう。

それがこんな重要な意味を持っているのだ。

食べているときは、リラックスした状態だ。

楽しい会話ができて、「いっしょに食事をしたい」と思う人は、感じのいい人といえる。

反対に、「あの人といっしょでは、せっかくのおいしい食事もまずくなる」と敬遠したくなる人もいる。

食べているときにも、人の悪口、批判を絶やさない人。

やれ、この餃子はまずいだの、どこそこの店のほうがずっとおいしいだのと、うるさい評価をする人。


医学博士、斎藤茂太氏の『なぜか「感じのいい人」ちょっとしたルール』(知的生き方文庫)より抜粋


大勢で集まって、テーブルを囲んで仲良く談笑しながら食事する。
これが人類ならではの特権であるなら大いに楽しみたいものです。
多くの人が集まり、楽しく過ごせる住まいって素晴らしですね。

本日の一話〈8月12日〉

大阪のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」が関西への旅行商品として人気になっているようです。

その原因は、7月にオープンした米人気映画「ハリー・ポッター」をテーマにした新エリア。

夏休みと相まって連日多くの人が詰めかけているとか。

そして、もうひとつの要因は、指定された時間に新エリアに入れる「確約券」付き旅行商品。

決まった時間に確実に入場できるとあって、遠方からの来場者を中心に飛ぶような売れ行き。

ハリポタ特需に関西が沸騰中!?という。

JR西は6月から、USJのスタジオ・パス(1日券)と新エリアへの確約入場券、往復の新幹線指定席などをセットにした「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン スペシャルきっぷ」を販売。

ハリポタ人気で旅行客のUSJへの関心が一層高くなっているという。

「確約入場券」というのは、いいところつきましたね。


USJではありませんが、ディズニーシーへ行ったが入場制限で入れなく、残念な思いを昔したことがあります。

 

 

本日の一話〈8月11日〉

大事故で病院に運ばれ、家族には助かる見込みはほとんどないと伝えられた方が、死の淵で幽体離脱の経験を経て、2つのことを思ったそうだ。


ひとつは「自分が死ぬんだ」ということ。

いつの日か、自分の人生にも終わりがくる。

それは、明日かもしれないし、50年先かもしれない。

もうひとつは「自分の物など、なにひとつない」ということ

もしも、それが自分の物ならば、家も、土地も、貯金も、肉体も、そして奥さんや子どもも、天国に持っていけるはず。

でも、なにひとつ持っていくことはできなかった。

すべては、この世にいる間の借り物で、奥さんや子どもはただ、そばにいてくれていただけ。

そんなことに気づいたそうだ。

形あるものはなに一つ持っていくことはできない。

肉体を離れて天国に持っていけるのは、形のない「想い出」だけ。

だから、形や物に執着しないで目に見えない「思い」や「うれしい気持ち」を見ようとすると、なにが大切でなにが必要じゃないかが見えてくる。

お金も才能も使わなければ持ちぐされてしまうから、喜びのために使って、人生を楽しもう。


てんつくさんの『やさしすぎる君へ』(サンクチュアリ出版)より抜粋。


天国に持っていけるのは、形のない「想い出」だけ。楽しい、嬉しい、ありがたい、良い「想い出」を少しでも多く積み上げていきたいものです。

本日の一話〈8月9日〉

米マクドナルド8日、2014年の世界売上高見通しを達成できない恐れがあることを明らかに。

もちろん要因は、期限切れ食肉の使用問題。

中国で主力の「ビッグマック」や「スパイシーマックウィング」などの販売停止を余儀なくされたことが背景にあるという

マクドナルドは

「中国の仕入先に絡む問題によって、2014年の世界既存店売上高見通しがリスクにさらされている」

日本や中国を含む市場での事業が大きく影響を受けていることを明らかにしたという。

マクドナルドに直接的な原因があったわけではないが、一瞬にして信用を落としてしまった。

以前の「雪印」事件でもそうですが、一瞬でガラリと変わってしまう。


信用を積み上げるのは、時間がかかるが、信用を崩すのは、あっという間。

誠実に信用を積み上げたいと思います。

本日の一話〈8月8日〉

いつも優しくほほえんでいる人は周囲をなごませ、幸せにします。


『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』には、『無財(むざい)の七施(しちせ)』と呼ばれるものが書かれています。

いくら貧しくても生活にゆとりがなくても毎日実践できることがある。

その中に笑顔があります。

忙しくて被災地に行けなくても、周囲にいる人に笑顔で接すればその人はきっと幸せな気分になり、その喜びは多くの人に伝わります。

笑顔だけでなく、他にもこんな行為が人のためになると書かれています。


「正しく丁寧な言葉を使うこと」

「いたわりの言葉をかけること」

「愛情のこもった温かい言葉で人に接すること」

「礼儀正しく人に接すること」


どれも特別に時間をつくらなくとも、家庭や職場でできることばかり。

他の誰かが施す姿を見て、ともに喜ぶことも布施をするのと同じものとされます。

笑顔と親切心があれば、実はいつでも誰かのために何かできるのです。


東大寺別当、筒井寛昭氏の『仏様からのアドバイス』ワニブックス




私の知人の女性で、何か華やかな雰囲気の女性がいます。

人を引き付ける魅力があります。

美人と言えば美人の部類ですが、飛び抜けた美人ではない。

理由、原因はなんだろうと思った時、気がついたのは、笑顔でした。

いつも、ニコニコしている。

本日の一話〈8月7日〉

「女性落語家第一号」と名乗らせていただいています。

いまは上方だけでも十五人の女性落語家がいて、現在は上方落語協会の「上方笑女(しょうじょ)隊」の隊長も務めております(笑)。


修行時代、三年間は内弟子として一緒に暮らしていましたが、

よく「うちではええけど、よそでやったらあかんで」と言われることがありました。

でも、それは「うちでもやったらあかんで」ということなんです


それから「先繰(さきぐ)り機転(きてん)」ということもよく言われましたね。

「俺が考えていることを読めへんかったら、何百人のお客さんの前で喋(しゃべ)られへんで」と。

この教えがどれだけ大事か、自分が弟子をとるようになってよく分かります。


毎日一緒にいて怒られ教えられていく中で、

師匠はこういう時、こうするんじゃないか、こうしてほしいんじゃないか、と見抜ける子は伸びるのが早いです。

逆に、見抜けない子というのは、結局全部自分の寸法でやってしまいます。

そうなると、高座に上がってもお客様の反応よりも、自分のやりたいようにやってしまうことになります。

師匠は絶対に意地悪で叱っているわけではないですから。


この子に必要だと思って教えていることを、分からないなりにも自分を殺して素直に聞ける子は、

次第に先繰り機転も利くようになるし、伸びるのも早いと思います。

やはりそうやって弟子を指導するようになり、さらに師匠のありがたさを感じるようになりました。


落語家、露の都さん"女性落語家第一号。道なき道を切り拓いて"『月刊致知 20149月号』(致知出版社)より抜粋



「先繰り機転」初めて聞いた言葉です。

人の気持ちがわかる、機転、気の利く人でありたい。

本日の一話〈8月5日〉

この世の中は「道理」でできています。

道理を無視して、成功なんて、しようがありません。

道理と強運は違うものじゃないんです。

ビルの上から飛び降りたら、世界中の誰もが下に落ちます。

ところが飛行機だけは、飛ぶようにできている。

飛ぶように作っているんだから、当たり前ですね。

その当たり前のことなんです。

この世の中は道理でできているんです。

本当に顔晴っている人は、成功したときに、「みなさんのおかげです」とか、「運がよかったんです」って言うものなんですよ。

そういう人の言葉だけを聞いて、「やっぱり人生、運なんだな」って、ふざけるなですよ(笑)。

人の生き方を、よく見てみろって。

成功した人が、普段、人にものを頼まれたとき、どんな返事をしているか見ていますか。

仕事を嫌々やっている人って、返事に出るんですよ。

○○さん、これやって!」って言われたときに、嫌な顔する。

「はい!」と気持ちいい返事をしない。

そういう態度をとっていると、「この人に頼みづらいね」って思われるんですよ。

何か頼まれたときに、「はい!」って明るく返事をすると、喜ばれます。

いちいち嫌な顔する。

いちいち、嫌な返事をする。

それでいて、「強運に恵まれたいんです」って言っても、そんな人に取りつくのは貧乏神だけ(笑)。

そんな人には、福の神なんか、つくわけないんです。


斎藤一人さん『強運』(PHP研究所)より抜粋


道理と強運は、繋がっている。道理に合った行動が、良い結果を引き寄せる。

当たり前のことかもしれません。

本日の一話<8月4日>

相談に来られた方がいます。

それは二人の女性で、奥さんとそのお母様ということでした。

お母様は70歳を過ぎてもしっかりしている。目が見える、自分の足で歩ける、という健康体です。


しかも、二人の子供は、それぞれ元気で大学へ通っていて、

優秀で奨学金をもらっている特待生とのこと。というふうに、

一つひとつ挙げていったら、実はものすごく恵まれていました。


そして、夫は植物状態になった時、死

んではいないのに、保険金が満額おりた、というお話でした。

だからそれによって2年間、奥さんはどこにも勤めることなく、

生活費も医療費もすべてまかなえている、とのことでした。


ただ未来が見えてこないので、「つらくてしょうがない」と言っているのです。

でも、今のような見方をしたら、ものすごく恵まれていように見えませんか?

その恵まれていることに目を向けないで、

つらい、悲しいほうへばかり目がいって、

それについて「つらい、悲しい」と言いつづけた結果、

楽しいことがひとつもなかったのです。


さらに、私はもうひとつこんな話を聞きました。

このご主人に、毎日のようにお見舞いに行っているそうですが、

「早く目覚めて。早く私たちのこのひどい状態をなんとかして。

あなたが私たちのために働いてくれないと、私たちはどうにもならない」と

2年間ずっと言いつづけてきたそうです。

私がもし寝たきりの夫であったならば、

仮に意識が戻っていたとしても、目を覚まさないと思います。

だってそうやって愚痴や泣き言、早く私たちを楽にしてよ、困ったことがたくさんあって...

ということばばかり聞かされていたら、楽しいわけはないし、

体じゅうの細胞や脳神経だって、活性化しません。

そうではなく、たとえば「3月になって、梅がすごくきれいに咲いてますよ

4月になったら、桜が咲きましたよ。今年は特にきれいですよ。

5月はツツジ、6月は花菖蒲、7月はユリ...

そしてだんだんと木々の葉っぱが色づく季節になりました。

こんな楽しいことがあって、きれいな景色があって...」ということを、

話して聞かせてあげたらどうですか。

人間の意識というものは、細胞の中に包まれています。

ですから、細胞(容れ物)がちゃんとしてくると、

魂もちゃんとしてピュアになってくる可能性がある。

「はじめに言葉ありき。

言葉は神とともにあり。

言葉は神なりき」という聖書の一説は、

「発した言葉によって、またそれを言いたくなるような現象が降ってくる」

という宇宙の法則だったということが、

このレポートによって実証されました。


実は私たちの発する言葉は

「打出(うちで)の小槌(こづち)」だったのです。


おとぎ話の中にでてくる打出の小槌は、

ほとんどの人は「そんなものあるわけない」と言うと思います。

私もずっとそう思っていました。

しかし、本当にあるということが、わかってしまいました。

「こうすると、こうなる」という宇宙方程式であり、

自分の発する言葉によって、自分に降ってくる現象を作っていることがわかったら、

打出の小槌を持っているようなものではないでしょうか。

私たちは宇宙の「打出の小槌」を使いこなせるのです。


小林正観さん『究極の損得勘定 2(宝来社)より抜粋


宇宙の「打出の小槌」をうまく使いたいものです。

そのためには、自分の言葉、口に出す言葉のみならず、

心の中でつぶやく言葉にも注意したいものです。

本日の一話<8月2日>

どんなことを言う場合も、

まず、「よかった」と心の中でつぶやいてから、

言葉を続けるクセをつけてみよう。


会社のお茶の時間。

うっかり、お気に入りの茶碗を割ってしまった。

そんな場合、いままでだったら、「ったくぅ...!せっかく京都に行ったときに買ったのに」

なんて嘆き節が先に口から出て、たちまちストレスの固まりと化していたところだ。

だが、まず、「よかった...」とつぶやくと、

「落として割ったのが、自分の茶碗で本当にラッキー。

課長のだったら、平謝りに謝らなければならないところだったわ」

と胸をなでおろしたりして、気持ちはスーッと楽になる。



Hさんは新米の営業マン。

ある本で、この「よかった...」戦術を見て、さっそく実行してみることにした。

あるとき、かなりいい線まで攻めていた商談が、最終段階でオシャカになってしまった。

しかし、Hさんは、すぐに心の中で「よかった...」とつぶやくと、

得意先に向かって、

「おかげさまで本当によい勉強をさせて頂きました。

ぜひ、再挑戦の機会を与えてください。

今回の経験を生かして、次回はきっとご満足の頂けるプランをご提示できるようにがんばります」

と心の底から自然に言うことができたのだ。


作り事や口先だけではなく、心の底から出たこうした言葉は相手の胸にもストレートに響く。

Hさんに好印象を持った先方は、ほどなく次回の商談を、Hさん名指しでもちかけてきた。

「よかった...」戦術は、意外なほど効用があることがわかるだろう。
保坂隆氏『プチ・ストレスにさよならする本』(PHP文庫)より抜粋



まず、「よかった」と心の中でつぶやいてから、

言葉を続ける。

「よかった...」戦術を使ってみます。

本日の一話<8月1日>

見えない世界の代表選手に輪廻転生という仕組みがあります。

生まれ変わりに関する仕組みというわけですが、そのシステムがどうなっているのか、

死亡から再誕までのメカニズムに関してはさまざまな解釈があり、

その情報を掲載するだけで数冊の本ができてしまうほどです。

要するに、何となくわかるようで、その本質が誰にもわからないのです。


これまでの人生、そして今回の人生も、

それぞれにミッション(使命)があることを意識すれば、

前回、または前々回、あるいはそのもっと前の人生で、

自分が何者だったのかという議論にはほとんど意味がないことがわかるでしょう。

今回の人生が終わっても、まだまだ先は長いのです。


何度も転生し、神様と一緒に多彩なエピソードを重ねているのだと感じます。

私たちは生きているのではなく「生かされている」のです。

それは自分がどんな状況にあっても絶対に忘れてはなりません。


神様、摂理、大いなる存在...呼び方はさまざまあれども、

私たちが今、この世で暮らしているのはそういう存在の恩恵、つまりおかげです。

神様と一緒にエピソードを重ねているのだと述べましたが、

エピソードには良いことも悪いこともあります。

エピソードは淡々と起きるだけですが、

それを私たちが「良い、悪い」と勝手に判断しているだけです。


自分がなぜ、こういう立場で生まれてきたのか、今なぜこういう状況にあるのか、

そういうことの一つひとつにまで意味があります。

なぜ人間は生まれて死ぬのか、どうして生きているのか、

素朴な疑問ですが、そこに意味を見出すことはとても大切です。


ボーイスカウト日本連盟の初代総長となった後藤新平氏が

スカウト運動の本質について問われた際

「人のお世話にならぬ様(よう)、

人のお世話をする様、

そして酬(むく)いを求めぬ様」

(自治三訣・さんけつ)と言いました。


東京大学医学部教授、矢作直樹氏『いのちが喜ぶ生き方』(青春出版社)より抜粋



私たちは生きているのではなく「生かされている」
医者が言うと、重みを感じます。
自分の生まれた意味を考えます。
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