ALPHAN有限会社

2014年11月アーカイブ

本日の一話<11月26日>

 死は考え過ぎるといけませんが、時々、それを思うことで「豊かな生」を手に入れることができます。

それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。

長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、自分のお役目も励みながら、あるいはお役目を探しながら、感謝しつつ日々を全うする。

そのうちにゴールがやって来るという人生で必要なのは「幸福感」でしょう。

誰もが避けられない死というイベントを意識することで、限られた時間の中で豊かな生に向かって歩こうとする、私たちの幸福感はそんなところから滲(にじ)み出て来ます。

さらにそこで大切なのは、「人は死なない」という事実を知ることです。

今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。

まずはそこに気づくこと。

そうでないと唯物論者のように現世利益にしがみついて単に死を怖がることになります。

この先もまだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、今の生の利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。

その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中に「また会える」という感情が生まれ始めます。

他界した大事な人や愛しい人とはあちらの世界で会えるし、次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが)違う役割で会えるでしょう。

そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちのすぐそばにいます。

私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで彼らは優しい眼差しで見守ってくれているのです。

その仕組みを踏まえると、残りの人生を心配する必要がなくなります。

対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、それも今回の人生において、自分に対する「課題」がそういう形で出ているだけの話です。

解決できないレベルの課題は絶対にやって来ません。

必ず解決のための糸口があります。

その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。

臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に実にさまざまな立場の方々が講演や著書でその体験談を発表しています。

脳神経外科の世界的権威である医師エベン・アレグザンダー(元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が自らの臨死体験を著書にまとめた本もベストセラーになりました(脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。
向こうの世界の様子が詳細に描かれているのが興味深い点です。

レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、多くの実績を持つ欧米の医師たちが死後世界の実相を克明に語る向きは、海の向こうではかなり増えています。

しかし、私たちの住む日本ではそうした情報自体をまだオカルトと忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。

なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?理由は簡単です。

人間は知らないことへの対処がこの世で一番怖いからです。

知らないこと、知らない人、知らない世界、知らない作法、知らない手続き、知らない知識...私たちが常に怖がり不信感を持つのは「未知のもの」です。

逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。


東京大学医学部付属病院集中治療部部長、矢作直樹氏の『ご縁とお役目』ワニブックス「PLUS」新書より


長すぎかも。

 でも深いですね。

そのままにしました。

本日の一話<11月25日>

「野心的な試みに取り組んでみて、たとえ失敗したとしても、完全な失敗に終わるということはまずありえない」(ラリー・ペイジ)

世界中の道路にカメラを搭載した車を走らせ、360度方向の景色を撮影。

それによって画面上で歩行者の目線を再現した、人気サービスのストリートビュー。

しかし、当初は、たまたま見られたくない姿を撮影された人や、家の中の様子まで写真に映り込んでしまった人などから、プライバシー侵害だと猛反発が上がった。

だが、グーグルはそこで引き下がらない。

失敗を活かし、今度は家の中が写らないように、撮影車のカメラの位置を調整したり、人の顔や車のナンバープレートを認識して自動的にぼかしをかける機能を開発したのだ。

こうしてサービスを個々人のプライバシーに配慮するレベルにまで洗練させた。

そして結果的に、その過程で、同社の「顔認識技術」の精度は飛躍的に向上した。

これぞグーグルの「転んでもタダでは起きない精神だろう」


ジョージ・ビーム氏の『グーグルをつくった男たちが「10年後」を教えてくれる』(三笠書房)より


ストリートビューを、創ろうと決めること自体が、凄いことだと思ってしまう。

そんなグーグルの精神を見習いたいものです。



本日の一話<11月22日>

月刊誌『致知』の取材を通して、数多くの経営者に接してきたが、一業をなした人には、突出(つきだ)して二つの共通した要素があるのを感じないわけにはいかない。

一つは、「価値を見出す力」である。自分の置かれた環境、そこに結ばれる縁、たずさわる仕事等々に、多くの人はさしたる感興(かんきょう)も覚えず、それらはたまたまのもの、ありきたりのものと見なしがちである。

だが、一業を成した人はそこに独特の強烈な価値を見出すのだ。

もう一つは、価値を「信じる力」である。

京セラ創業時、セラミック製造の作業は埃(ほこり)まみれ泥まみれ、汚い、きつい、厳しいの典型的な3K職場であった。

若い社員の顔にはうんざりした色が浮かぶ。

深夜作業を終えると、そんな若い社員と膝(ひざ)を突き合わせてラーメンをすすりながら、稲盛氏は熱っぽく語り続けた。

自分たちがやっているのは世界の誰もやっていない仕事なのだ、自分たちは世界の先頭を走っているのだ、と。仕事に見出した価値。

それを強烈に信じていたのである。

そして、それば京セラのベースをつくったことはいうまでもない。

価値を見出す力。

その価値を信じる力。

これこそ信念の力である。

信じ念じる力が道のないところに道をつくり、人を偉大な高みに押し上げていくのである。


藤尾秀昭氏の『プロの条件』(致知出版社)より


自分の身の回りにあるもの、いる人、起こることそれにどんな価値を感じ、見出すのか、そしてどう行動していくのか

本日の一話<11月21日>

「どんな人間も、誰かに助けられて生きている」ということについて、当時私は、生徒に「牛丼」の話をしてきました。

「お前たち、牛丼を食べたくなったら、たとえば吉野家に行くだろう。食べたあとは食事代を300円だか400円だか払うよな。ところでお前ら、そのあと店を出るとき、ちゃんとありがとうと言っているか?」

みな戸惑った顔をしています。

普通、「ありがとう」は店の人がお客に言うものです。

「お前たちもそう思うよな」と確認したあと、話を続けます。

「でも大間違いだ。なぜかといえば、もしあの牛丼が15万円だったら、お前らは食べに行くか?」

当然ながらみな行かないと答えます。

「行かないよな。あれ、一杯数百円だから行くわけだ。ここで、よく考えてくれ。お前たちは今、おなかがすいたという問題を抱えたわけだ。これはお前たち一人ではどうあがいても解決できないだろう?」

子どもたちの反論はわかっているので、すぐにこう言い足します。

「もちろん、コンビニに行くというのもダメだ。なぜなら、そこにあるおにぎりもサンドイッチも自分で作ったものではないからだ。くどいようだが、お母さんに作ってもらうのも同じ理由でダメ。お前たちが普段、何げなく米やパンを食べているが、『なんてラッキーだ』とは思わないか?だって、作ってもいないのに。一人で米を作れるか?稲はどこから持ってくる?台風や害虫からどうやって守る?ビニールハウスでなんていうなよ。ビニールはどうやって作るんだ?ほらみろ。人間は自分ひとりでは空腹を満たすという問題さえ解決できなんだ。でも、その問題解決をしてくれる人がいる。たとえば、それが吉野家というわけだろう。だからあのお金で、あの味のものが、あの短い待ち時間で食べられる。それが極めて有効な問題解決になるから、お前たちは行ってお金を払って食べるんだろう。もし誰かが自分の前にある大きな壁を取り払い、問題を解決してくれたら、お前たちはその人に何て言う?」

「ありがとう」という答えが返ります。

「そう、ありがとうって言うよな。だから、吉野家でお前たちがありがとうって言うのは当たり前だろう」

煎(せん)じ詰めると、仕事というのは問題を解決することなのです。

だから、その問題を解決したときには当然のこととして、解決した相手から感謝の言葉が返ってきます。

たとえば、営業などはじかに人と向き合う仕事だから、直接言葉が返ってきます。

一方で、直接には感謝の言葉返ってこない仕事があります。

経理など社内の事務仕事の場合、相手から感謝の言葉を聞く機会はあまりありません。

でもそういう仕事に携わる人がいるから、ものごとが回っているわけです。

結局、自分が何かをする、行動するというのは、誰かがそれによって助られているということになります。

そして人間というのは、誰かのために力を出すときに最も力を発揮できるのです。


元カリスマ講師、木下晴弘氏の『涙の数だけ大きくなれる!』(フォレスト出版)より


当たり前になってしまっている。

思い違いをしていることあるんでしょうね。

自分の周りを、あらためて見渡してみるのも良いかもしれませんね。

本日の一話<11月20日>

人間関係を発展させる最高の方法のひとつは、絶えず相手に感謝の気持ちを伝えることである。

心をこめて数行の感謝状を書くことは、そんなに手間のかかる作業ではない。

たいてい5分もあればできる。

しかし、相手はそれによって長期の満足感を得ることができる。

職場の上司や同僚に感謝の手紙を書こう。

たとえば、「この数年間、いっしょにお仕事をさせていただいたことをありがたく思います。

いろいろと教えていただき、人間的に成長することができました」という具合だ。

もちろん、内容については具体的に書く必要がある。

配偶者にラブレターを書こう。

そんなことをするのは何年ぶりだろうか。

結婚した理由をもう一度伝えよう。

相手のおかげで充実した人生が送れていることを感謝しよう。

その子が生まれたときの嬉しさと、自分がその子の親であることの幸せを言葉で表現しよう。

かかりつけの医者にも感謝の手紙を書こう。

たとえば、「おかげさまで私の家族は全員健康です。ずっとお世話になっていることに深く感謝します」と書いて送るといい。

子どもの学校の先生にも感謝の手紙を書こう。

たとえば、「うちの子をいつもご指導いただき、まことにありがとうございます」と書いて送るといい。

さらに、行きつけのデパートの店員、日ごろ世話になっている郵便局の配達員、地元の警察署や消防署にも感謝の手紙を書こう。

誰に対しても、言葉か行動を通じて相手を励まし、人生を好転させるのを手伝おう。

それと同時に、あなた自身も他の人の励ましを快く受け入れる必要がある。

そしてその励ましを心に刻んで強く生きていこう。

強くの場合、あなたの励ましは、いつかあなたに返ってくる。

言い換えれば、人を励ませば、あなたも励ましてもらえるということだ。

このように、励ましはおたがいの心に強さと喜びを与えることができるのである。

人を励まして幸せな気分にしてあげよう。

そうすれば、その人だけでなく、あなたも幸せな気分になれる。


..ローリングズ氏の『励ます技術』(ディスカヴァー)


感謝の気持ちを持つことは大切ですが、感謝の気持ちを相手に伝えることはもっと大切なのでしょうね。

本日の一話<11月19日>

豊かになりたい人は、「豊かになりました!ありがとうございます!」と願えばいいのです。

仕事を繁盛させたい人は、「仕事が忙しくなりました!ありがとうございます!」と願えばいいのです。

どんな願いでも、すべて同じお願いの仕方で大丈夫です。

これがコツなんです。

「なりたい状態になったつもりで感謝すること」が大事だとお話ししましたが、さらに、とっておきのコツをお話ししましょう。

「お願いする言葉は、最後に言ったことが大事」なのです。

最後に何を話すかで、あなたの発信する「願い」は変わってきてしまうのです。

例えば、「部長がガミガミうるさく言うんです」とずっと思っていると、「ガミガミうるさく言う」という思いが発信されて、あなたの部長は、ますますガミガミ言うでしょう。

ところが、「部長が10倍うるさく言っても、私はぜんぜん平気です」と思うと、どうでしょう?

「内神さま」は「ぜんぜん平気です」という現実を、かなえようとするのです。

その結果、あなたの心はなんだかとても落ち着いて、平気な顔をして会社に通えるようになるかもしれません。

部長は「平気な顔」をしているあなたに、ガミガミ言いづらくなるかもしれません。

もしくは、あなたが他の部署に異動して、部長と別れられるかもしれません。

とにかく...、「私はぜんぜん平気です」にともなう現象が起こってくるのです。

これはたとえてみると、タクシーと同じです。

タクシーに乗って、運転手さんに、「東京駅に行ってください」とお願いしたら、運転手さんは、東京駅に向かってタクシーを走らせますよね。

ところが、「東京駅に...、あ、やっぱり、新小岩へ行ってください」とお願いしたら...、あなたが最後に言った「新小岩」へ向かって、運転手さんはタクシーを走らせるでしょう?

最後に何を言うかで、その人の運勢は決まってくるのです。

最後に、どんな言葉を放つかを、「内神さま」は聞いているのです。


斎藤一人さんの『神様に上手にお願いする方法』(KKロングセラーズ)


明るい前向きな言葉で、締めくくるように気をつけたいですね。

 

 

本日の一話<11月18日>

維新後間もなく武家は廃刀令によって武士の命である刀を奪われ、「武士」という身分さえも失いました。

その日の糧さえ得るのが難しい暮らし向きだというのに、そのうえもってこの扱いでは、どれほど誇りを傷つけられたか知れません。

維新後のことを父親から聞いた祖母は、じじさまはいっそ自害するとは言い出さなかったのか、父はどうして耐えることができたのか、と訊ねたことがありました。

「すると父は笑い飛ばすような勢いで陽気に言ったのですよ。

そのようなことにへこたれてしまっては面白くないからのう。

誇りを傷つけられたなどと自害しては相手の思うつぼじゃ。

お前のじじさまは誇りをもって帰農したのだ。

自らの食い扶持を自らの手でつくるのだ、誇りをもたぬわけがない。

ばばさまにしたって、お前も憶えておろう、得意のお縫いやお仕立てで一所懸命一家を支えたではないか。

どんな目に遭おうとも、どっこいそれがどうしたと、知恵と心意気で相対してやるのだ。

士族が無くなろうと西洋張りの日本国が生まれようと、武士の心意気が生きていることを見せてやるのよ。

とまあ、想像もしなかったお返事だから、私は驚いての。

けれど、これが天晴れということかと、私の気持ちまで晴れ晴れしたものです」

苦境に追い込まれて陰々滅々としてしまっては、再起を図る力など湧いてはきません。

落ち込んでしまう自分に打ち勝って、自ら陽気にしてみることは、乗り越える力を得る第一歩になるにちがいありません。

明治の日本人の姿を活写した小泉八雲は『日本人の微笑』の中で、「日本人は心臓が張り裂けそうな時でさえも微笑んでみせる」と綴っています。

東日本大震災の直後、多くを失ったにもかかわらず、微笑を浮かべながらインタビューに答える被災者が少なからずいました。

私たち日本人は困難な時でも明るく立ち向かおうとする意識を潜在的に持って生まれてきているのかも知れません。

私が沈んでいる時、「空元気(からげんき)でも元気は元気。そのうち本物の元気が湧いてくるよ」と祖母が声をかけてくれたことがありました。

苦労の多い人生を歩むことになった祖母は、折々、曾祖父の力強い言葉と、その陽気さ元気さがいかに自分の心をどれほど晴れやかにしたかを思い出したのかもしれません。

そしてその都度、「武士は食わねど高楊枝」とばかりに胸を張ったのでしょう。

見栄を張るためではない、誇りを守るための「やせ我慢」とは、なんと恰好いいやせ我慢でしょう。


石川真理子氏の『女子の武士道』(致知出版社)より

現代に「侍」がいたらどんなだったのでしょうね。

武士道とは、、、

本日の一話<11月17日>

渡辺和子さんは、二・二六事件で暗殺された教育総監・渡辺錠太郎氏の娘です。

九歳のとき目の前で父が殺されました。

彼女は二十代後半になってアメリカの修道会に入り、十年ほどして帰国しました。

現在は岡山県のノートルダム清心学園の理事長をされていて、多くの素晴らしい本をお書きになっています。

渡邉和子さんがその修道会にいたときのことです。

食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。

「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」

渡辺和子さんは戸惑いつつ、

「いえ、何も考えていません」

と答えました。

そのときシスターは、

「あんたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」

そう教えてくれたというのです。炊事も洗濯も掃除も、また子どもの世話も会社の仕事も、「しなければならないこと」と考えると、その通りです。

しかし、そこに「この食事をいただいた人が元気になってくれるように」「この服を着る人が幸せになってくれるように」「この廊下を歩く人が笑顔で過ごせるように」「この仕事で関わる人が、みんな幸せになってくれるように」と念をこめたら、それは単なる雑用ではなく、また単なる仕事でもありません。

そのように考えていくと、「ねばならない」という作業や仕事はなくなるのではないでしょうか。

日常におけるすべてのことは、周りの人たちの元気や幸せを祈る大切な手段になるのです。

宿泊業の人にこの話をしたところ、大半の人が「宿泊業はとても素晴らしい仕事だったんですね」と言いました。

食事を作り、風呂を沸かし、部屋や廊下を掃除し、それらすべての作業が、「泊まりに来てくれる人の幸せを祈れることだった」ことに気がついたからです。

「ねばならない」と思っていたことでも、実はそれが「幸せを念じられること」だと気がつくと、もっと、そういう時間や場所がほしいと思えるようになるのではないでしょうか。

そしてその念は、必ず目に見えるかたちで現れてきます。

そうなればもう、「ねばならない」と思っていたことも、楽しくて仕方がなくなるのです。


小林正観さんの『22世紀への伝言』(廣済堂出版)より


私たちもそこに暮らす人々、家族の幸せを願いつつ仕上げて行きたいですね。

 

 

 

本日の一話<11月15日>

先日、テレビで「アルプスの少女ハイジ」という有名な児童小説をアニメにした番組を見ておりました。

その日のタイトルは「クララのしあわせ」というのです。

このクララというのは、両足が動かず車椅子の生活をしている少女です。

このクララがハイジに招かれて、アルプスの山の中へ来て暮らすようになったのです。

そして、この日、ハイジの仲良しである近所の盲目のおばあさんの家に行き、そこでクララはおばあさんに本を読んであげます。

読み終わった時、おばあさんは感動して、お礼をいい、「まるで天使の声のようでした」といったのです。

この時、クララの胸の中に名伏しがたい歓喜の思いが沸き起こりました。

急に黙ってしまったクララにハイジたちは心配して、口々にどうしたのか?と尋ねました。

すると、「嬉しいんです!」とクララは叫んだのです。

「こんなに嬉しい気持ちは生まれて初めてです!」思えば、車椅子の生活は、他人の厄介になるばかりでした。

クララの人生はそれまで、すべてが人の助けで生きてこれたといえます。

ところが、この日、本を読んであげて、それにおばあさんが心から感動して、お礼をいってくれたのです。

「自分でも、人の役に立つことができる!」これが解った時、クララの喜びは、まるで洪水のように胸の中にあふれたのです。

みなさん。

自己重要感を高めるもっとも効果的な答えがここに示されております。

それは、「他人の役にたつ」ことです。


無能唱元氏の『君の霊格を高めよ』(竹井出版)より


「他人の役にたつ」「他人に褒められる」って嬉しいですよね。

人の役に立ち、褒められる仕事をしていきたいですね。

 

本日の一話<11月14日>

建物の窓ガラスが割れたまま放置していると、やがて他の窓もすべて割られてしまう...。

これはアメリカの犯罪学者、ジョージ・ケリングが提唱した「割れ窓理論」という考え方です。

1980年代のニューヨークはアメリカ有数の犯罪都市でしたが、94年にジュリアーニ市長が「家族連れにも安心な街にする」と宣言しました。

このケリングを顧問にし、「割れ窓理論」を応用して治安対策に取り組みました。

地下鉄の落書きを完全に消すなど、街全体を徹底的にきれいにしたところ、それに伴って治安も良くなっていったそうです。

考えてみると、いつもゴミ一つ落ちていないディズニーランドでは、誰もゴミをポイ捨てしようとはしません。

人間は、このように他人や環境にとても影響されやすいものなのです。

脳科学者・中野信子さんの本には、自分が運がいいと思った人は運が良くなる、と書かれていました。

逆を考えると、運が悪いと思った人は運が悪くなる、ネガティブな人にはネガティブなことが起こる。

ネガティブな人たちとネガティブな話ばかりしていては、幸運は間違いなく逃げていきます。

常に誰かの悪口やグチを言っているネガティブな人とつき合っていると感化され、どうしても自分もそのような人になってしまいます。

だからこそ、いい人とつき合うべきです。

プラスの影響を受けるような人とつき合って、自分をポジティブにする。

そのほうが絶対に幸せになることは明らかです。

だれかの悪口で、場が盛り上がることはたしかにあります。

でも、人は意外と冷静に見ているものです。

悪口を言っている人に対して、何となく警戒してしまうはずです。

きっとこの人は自分のことも他の場所で悪口を言っているに違いない、と感じてしまうからです。

そのような人は尊敬されるはずがありません。


岩田松雄氏の『「情」と「理」話し方の法則』(三笠書房)より


脳科学の世界でも、実験、実証されてきているのですね。

本日の一話<11月13日>

私の直接の知人、友人二百数十人に、ラッキーについてのアンケート調査に協力を依頼し、約百人から回答をもらいました。

回答者の属性はかなりバラエティに富んでおり、男女の比率はほぼ同じ、年齢も二十歳そこそこの学生から六十代までかなりの幅があり、職業もビジネス・パースンから専業主婦まで含まれています。

その結果、大変興味深いことが分かりました。

自信を持って自分自身がラッキーであると考えている全面的ラッキー派の人たちは、自らラッキーであると思い、自分自身の働きかけによって、そうなっていると答えているのです。

また、ラッキーであるために普段から具体的な考え方や行動をとっています。

すなわち、ラッキーは自ら働きかけることにより、コントロールできるものである、と考えています。

回答してくれた人の顔を思い浮かべると、客観的に見ても皆ラッキーと言える人生を送っています。

ラッキーかどうかは性格によってきまるのではなく、考え方や行動によって決まるのです。

ただ、性格によってラッキーになりやすい考え方や行動をとる傾向があるということです。

そのような性格でなくとも、ラッキーになるような考え方、行動を意識してやってみる、それを習慣づけることでまったく問題ないということです。

あなたの行動が変わればそれは周りの人にも影響を与えます。

周りの人の行動の変化はあなたにフィードバックされます。

すると、それがあなたの性格にも影響を与え、変えることもできると、自身の経験や周囲の人の観察から私はそう考えています。

『ラッキーが来ない人』は...つまらなそうな顔をしている人。

悲観的に考える人。

自信がない人。

エネルギーを吸い取られるようなところへ行ってしまう人。

感謝のない人。

ツイていない人とばかり一緒にいる人。

ラッキーが来たことに気づかない人。


小杉俊哉氏の『ラッキーをつかみ取る技術』(光文社新書)より抜粋


「ラックマネージメント」という考え方があります。

ラッキーは自ら働きかけることにより、コントロールできるものであるということ。

「自分はラッキーだ」と思える人は、ラッキーになるような行動を取っている。

「自分はツイていない、アンラッキーだ」と思っている人は、ツキがなくなるような行動をとっている。


(以上、同書の中から抜粋)


「喜ばしたもん勝ち」 

人を喜ばせることが好きな人にはラッキーがやってくる。

「私はラッキー」、と言えるような行動と習慣を身につけたい。

 

本日の一話<11月12日>

少子化や過疎化に伴い、空き家が増加。

社会問題になっていますね。

総務省の統計によれば、空き家数は820万戸にも上り、空き家率は実に13.5%と、過去最高を記録したとか。

ネックになっているのは税制上の問題。

更地にすると、固定資産税が最高で6倍にも増額してしまうことも。

駐車場などとして利用して収益を得ることができるならいいが、何も活用できない不動産なら、所有者にとっては建物を壊さない方がいいということになる。

しかし、管理のされていない空き家は、屋根や壁が崩落する危険があるし、ゴミの不法投棄場や、放火・不法侵入など犯罪の温床にもなりうる。

全ての家屋を別々の人が所有しているわけではない。

中には複数の住宅を保有している人がいる。

彼らがそれらの物件をきちんと第三者に賃貸できていれば「空き家」にはならないが、人が住まないまま放置されている住宅が増加している。

そのような建物は劣化が進み、資産価値が下がり、ますます人が住まないという悪循環に陥っていく。

いっそのこと取り壊すべきなのだが、解体するにも費用がかかるし、税金の問題も出てくる。

「空き家」絡みのビジネスチャンスは、増えてくるでしょう。

本日の一話<11月11日>

社長でも部長でも課長でも、愚痴や悩みをいえる部下が大勢の中に一人でもあれば、非常に精神的に楽になると思う。

それによって、自分の持てる力を十分に発揮することができるようになる。

けれども、よく働く人はたくさんあっても、自分の悩みを訴える部下がなかったら疲れてくる。

それで、いい知恵も出ないし、自分の働きが鈍ってくるということも起こり得るわけである。

実は、私自身が多少神経質なところもあって、そういうことを身をもって体験してきた。

私の今日あることの一つの大きな原因としては、そのような人に比較的恵まれたことがあげられると思う。

いろいろと煩悶した時に、それをうまく聞いてくれる人が、私の場合はわりと多かった。だから幸いにして愚痴がいえた。

それで、少々のことでも愚痴をいって、気がスッっとする。

晴れ晴れとした気分になって、力いっぱいに仕事に打ちこめるというような姿で、今日までやってこれたわけである

だから、相当の仕事をする人、何らかの意図を持って事業をしようというような人は、そういった愚痴をいえる部下をかたらわらに置いておくことが望ましいと思う。

もちろん非常に働きがあって立派な仕事をする部下、現実に商売をして大きな成果をあげるという人が大切なのはいうまでもないことである。

しかし、そういう人だけでなく、働きはそれほどでなくても、愚痴をうまく聞いてくれるような人がいないと、事業に成功し、社会人として成功することはむずかしいのではないかと思う。

太閤さんにとって、加藤清正とか福島正則といった武勇にすぐれた部下ももちろん必要だったが、そういう人だけでなく、その心の憂(う)さを汲みとって晴らすことのできる石田三成がいたことによって、太閤さんの知恵才覚なり、働きが非常にのびた。

それで天下がとれたし、そこに三成の存在意義というものもあったのだろうと考える。


松下幸之助氏の『人事万華鏡』(PHP文庫)より


あの松下幸之助氏も愚痴をいうことあったんだと思うと、気が楽になりました。

決して裏切らないでずっと味方でいてくれるような人には、弱い自分を見せることも、愚痴をいうこともできるのでしょう。

本日の一話<11月10日>

砂粒表面に特殊な膜を形成し、水の浸透を防ぐ「撥水砂(はっすいさ)」。

パナソニックの開発した「魔法の砂」という。

砂に水をかけると、通常は砂粒の隙間を通って染み込んでいく。

これに対し、撥水砂は砂表面の撥水力に、水の表面張力が加わって浸透を防ぐ。

一方で、隙間自体は空いているため、酸素などの気体は通すという。

撥水砂の効果が最も発揮されそうなのが、乾燥した土地での農業だ。

地中に撥水砂の層を作ってやれば、雨水を長期間、保持できるうえ、塩害にもさらされずに済む。

保水シートを敷く場合と違い、通気性は維持されるため、植物の呼吸を妨げることもない。

魔法の砂の応用可能性はまだまだあるという。

道路の下に敷けば、長時間水を蓄え、路面温度を低く保てるため、ヒートアイランド効果を抑制する可能性がある。

砂粒の隙間を気体だけが通り抜ける性質を利用し、水蒸気だけを通す仕組みを海水淡水化設備に取り入れれば、水不足解消にのも役立つかも。

こういった、乾燥した土地の土壌回復や農地化で威力を発揮し、深刻化する環境問題や食糧問題の解決に道を開くと期待されている。早く実用化されるといいいですね。

地球温暖化などまったなしの問題解決にも役立てられればいいですね。

 

 

本日の一話<11月8日>

僕は、これまで数多くのセミナー参加者のサポートをしてきました。

その中で、気づいたことがあります。

それは、悩み多き人はイヤなことを鮮明に覚えている。

そして、成功者はソレを、覚えていないということです。

悩み多き人は、「親にこんなふうに育てられた」「学生時代、友人にこんな陰口を叩かれた」「上司がこんな仕打ちをした」と、いつまでも過去のイヤなことを引きずっていました。

一方、いわゆる成功者と称される人たちは、「ご苦労もあったんですよね?」と尋ねられても、「え?好きなことをしているうちに、ココまで来ましたよ」などと、過去のイヤなことを感じさせない答えが返ってくる。

なぜこんな違いが出るのだろうといつも考えていました。

その答えは、実は、「脳のしくみ」にあったのです。

人間が、もし、すべての出来事を記憶してしまうと、脳はパンクしてしまいます。

仮に、今日すれ違った人の顔や服装を全部記憶していたら、大変でしょう?

だから、脳の中にある「海馬」という部署が、眠っている間に、「残しておく記憶」と「消す記憶」を整理しています。

そう、あなたの記憶は、眠っている間に形成されているのです。

だとしたら、毎晩、寝る前に、1日のイヤな経験を振り返ったり、悪かったところを反省してはいけません。

海馬がその情報を鮮明に自覚してしまうからです。

「イヤな気持ち」をひきずったまま寝てしまうと、眠っている間に「イヤな気持ち」が脳に定着してしまいます。

寝る前に、絶対やってはいけないこと!それは...あの人に言われたイヤな言葉を思い出すこと。

仕事で失敗した原因を考えること。

テレビ番組で悲しいニュースを見ること。

人にしちゃった悪いことを思い出すこと。

起こるどうかわかなり将来の出来事を心配すること。

反省すること。

寝る前にはイヤなことを「ニャッ」と笑い飛ばしてから眠りにつきましょう!

眠っている間、笑い飛ばした「良い気持ち」が定着するからです。


中村将氏の『イヤな気持ちが消える心の法則26』(中経出版)より


こんな脳の仕組みを理解しているのとそうでないのとでは、大きな違いになるかもしれませんね。

寝る前は、いいイメージを持って寝ます。

本日の一話<11月7日>

あるとき、講演会の後で、結婚してずーっと夫が好きになれなくて、夫を否定してきたという奥さんとお会いしました。

その方は、こういう状態ではいけないと思って、ありとあらゆる本を読み、精神的な勉強をしていく中で、ある人からこう言われたそうです。

「夫を変えるためには、まず、自分が変わることなんですよ」って。

「その意味が、自分の中に深く入ってなかったけど、今日、小林さんの話を聞いて、初めて理解できたように思います。

夫を変えるためには、まず、自分が変わることなんですね。

よくわかりました」とその奥さんは、とても納得したようにおっしゃったのです。

私は、こう言いました。

「それは、大きな誤解です。

私は『夫を変えるためには、自分が変わらなくちゃいけない』なんて一言も言っていません。

『夫を変える必要がないんだ』ということを言っています」だって、自分が変わっちゃえばいいんですから。

「夫を変えるためには、まず、あなたが変わること」なんていう論理ではなくて、あなたがすべてのことに関して、〈気にならない人〉になったら、問題が全部解決するんです。

もし仮に、相手を変えるために自分が変わったとして、二、三ヵ月経っても、相手が全然変わらなかったら、さらに苛立(いらだ)つでしょう。

もっとパワーアップして恨(うら)んでしまいそうです。

私が提案している解決策は、「その人の存在を全部認めてしまいなさい」ということなんです。

これを「受け容れる」と言います。

相手を変える必要なんかどこにもない。

その人を認めて、自分が〈気にならない人〉になったら、それで"終わり"。

ありとあらゆることに、気を遣うのをやめてしまうんです。

多くの人は、自分の価値の中に相手を連れてこようとして苦しむのですが、その人の良いところも悪いところも踏まえた上で、そのまますべて受け入れてしまえばいい。

すなわち、自分の心を広げる。

許容量、寛容度を上げるということです。

ニコニコしながら「世の中には、そういう人もいるよね」って、自分の価値観を押しつけないで〈気にならない人〉になる。

周りの人は、こういう人のことを、人格者と呼ぶんですけど、私は「人格者を目指しなさい」と言っているのではありません。

損得勘定で突き詰めていくと、すべてのことに鷹揚(おうよう)になって、イライラしなくなったら自分が一番ラクだ、ということなんです。

これを、「究極の損得勘定」といいます。

そもそも、宇宙にはイライラする現象があるのではなくて、イライラする考え方をするから、そのことにイライラしてしまうのでしょう。


小林正観さんの『楽しい人生を生きる宇宙法則』(講談社)より


他人と過去は変えられない。

事実は一つだが、その見方や考え方は無数。

自分の許容度、寛容度、それを人の器とも、、、、。

 

本日の一話<11月6日>

私は消化器外科医として、30年以上も医療の現場に携わってきました。

聖マリアンナ医科大学附属横浜市西部病院で、最終的には外科部長まで務めました。

これまでに行った手術は3000件以上にも及びます。

そして現在は、横浜市で「イーハトーヴクリニック」という小さなクリニックを経営しています。

このクリニックでは、催眠療法を中心とした代替医療を行っています。世の中には、奇跡と呼ばれるようなことが実際に起こります。

医師から見放された末期ガンの患者さんが、死の淵から生還した例はたくさんあります。

ある人は、催眠療法によって幼い頃に戻り、潜在意識に植え付けられていた精神的な悩みの根源を知ることで、それを克服することができました。

また、ガンが複数の臓器に転移し、抗ガン剤も効かなくなって私のクリニックを訪ねてこられた方は、催眠療法で不思議なイメージを見たあと、病院で撮影したCT画像から腫瘍が消えていて、医師を驚かせたそうです。

私は西洋医学を否定する立場ではありません。

特に、緊急疾患の場合、手術をしなければ死んでしまう確率が高いのです。

ですから、西洋医学のすべてを否定するのは間違っています。

心の問題を無視して、患者さんの肉体だけを診(み)る、そして病気になった身体の部位を治療するのが、西洋医学です。

肉体に焦点を合わせているという点では、西洋医学は「見える医療」といえます。

自動車にたとえると、わかりやすいでしょう。

例えば、事故を起こして自動車が破損したとします。破損した部品を修理で取り替えれば、自動車はまた走れるようになれます。

しかしながら、事故が起こった原因は、別のところにあります。

原因の大もとは、運転手自身なのです。運転手が乱暴な運転をするから、事故が起こるわけです。

それでは、いくら自動車を修理しても、新しい自動車に乗り換えても、再び事故が起こる確率は高いでしょう。

自動車は身体です。

そして運転手は、私たちの心です。

西洋医学では、自動車である身体しか診ていません。

「なぜ、病気になったのか」といった心の部分を置き去りにして発展してきたわけです。

私は、ここに西洋医学の限界があると思っています。

自分の生活習慣を改めない限り、たとえ手術や抗ガン剤治療で一時的にガン細胞を退治しても、大もとの原因が改善されていないのです。

医師も次のようにいいます。

「治ったら、元のように生活できますよ」これは間違っている、と私は思っています。

前と同じような生活をしていたら、またガンになる可能性が高いからです。

ガンになったからには、何かしらの原因があるはずです。

それは生活習慣なのか、食習慣なのか、もしくは過度なストレスなのか...。

自分の生活だけでなく、人生そのものを見つめ直す機会です。

そのチャンスが与えられたと思って、「なぜ、ガンになったのか」を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

私が西洋医学の「みえる医療」から、代替医療のいわば「見えない医療」に大きく舵を切った理由も、心の部分をもっと大事にしなければけないと思ったためです。


医学博士、萩原優氏の『前世療法の奇跡』(ダイヤモンド社)より


物事には必ず、それが起こった原因がある。

根本的な原因は何なのか?

それを解決しなければ、また同じことが起こる。

起こす。

ガンは外から体内に入ってくるものではない。

自分の体が作り出しているもの。

本日の一話<11月5日>

最近、ちょっとしたことで、「怒りを爆発させてしまう人」が増えているようです。

「ムカムカ」「イライラ」、それを通り越して、「キレる」。

こうした怒りの感情は、通勤電車、駅のホーム、職場、飲食店、そして、家庭と、いたるところにあふれています。

周囲から見れば、「そこまで怒る必要はないのに」ということでも、本人にとっては、どうにも我慢ならない。

だから、ひと目をはばからずに、怒りを爆発させてしまうというわけです。

通常は、理性で感情を抑えているのですが、それが抑えきれないときに、爆発してしまうというわけです。

なぜ、感情を抑えることができなくなってしまうのでしょうか?やはりストレスの影響が大きいと言えます。

今、世の中はどんどん便利になっています。

しかし、逆にそのことによって、ストレスを受けやすい状況が増えているように思います。

誰もがパソコンや、携帯電話・スマートフォンを持ち、わざわざ会いにいかなくても、つねに誰かとつながっていることができます。

あえて誰かと社会を形成しなくても暮らしていける、そんな世の中になってしまったのです。

とはいえ、ストレスが多い社会だからこそ、私は、よけいに「感情をコントロールする」必要があると思います。

脳は、疲れやすく、ストレスにも決して強くはありません。

だからこそ、上手にストレスとつきあうことが大切です。

疲労と同じように、ストレスを蓄積させないように、こまめに発散するのが理想と言えます。

それが感情をコントロールするうえでも有効でしょう。

「うっぷんを晴らす」という言葉がありますが、これは、ストレスをためこまないコツと言えます。

運動はストレス解消に最適です。

「運動をして汗を流したら、嫌な気分が吹っ飛びすっきりした!」みなさんも、そのような経験があるでしょう。

ウォーキングやジョギングなど、太陽を浴びながら身体を動かせば、生体時計がリセットされるため、なおさら良い条件が重なります。

怒りっぽい人や気分が沈みがちな人の多くは、身体を動かす機会が少ない傾向があります。

逆に、普段、運動をする機会が多い人ほど、感情を抑えるのが上手と言えるのです。

また、「気持ちを整理する」うえで大切なことは、自分の気持ちを客観的に見ることです。

一番簡単な方法は、書いたり話したりすることだと思います。

毎日、日記を書いたり、家族や同僚たちと話をしたりすることだと思います。


脳神経外科医、築山節氏の『頭の働きが最高によくなる本』知的生きかた文庫


そもそもどうして感情いうものがあるのか、生まれるのか。

不思議に思うことがあります。

なぜ、今イライラしているのだろう?

なぜ、今悲しいのだろう?とそんなときは、自分の気持ちを客観的に見れているとき。そうでない時が多いですが、、、

 

 

 

本日の一話<11月4日>

二宮尊徳は、親戚の川久保民次郎に下男として働いてもらっていた。

民次郎が一家を構える年になったので地元へ帰すことになった。

尊徳は、民次郎に人の間で生きていくための心がけを話した。

「たとえば、腹が空いた人が他人の家に行って、"ご飯を食べさせてください"と言っても、誰も食べさせてはくれない。

しかし、空腹を我慢して庭の掃除をしてから頼めば、食べさせてくれるかもしれない。

この心がけがあれば困った時でもなんとかなるだろう」続いて、「私が若い頃、鍬(くわ)が壊れてしまった。

隣家へ借りに行ったら、"畑を耕して、菜の種をまくところじゃ。終わるまでは貸せないよ"と断られた。

そこで、"その畑を耕してあげましょう。

耕し終えたら、ついでに種もまきましょう"と言って作業を終えた。

隣家の老人は、ニコニコ顔で、"鍬だけでなく足りないモノがあったら、何でも言ってくれ、いつでもいいよ"と心を開いた」尊徳は、さらに言った。

「お前は、まだ若いから、毎晩、寝る前に草鞋(わらじ)を一足つくれ。

それを、草鞋の切れた人にやるがよい。

それで、お礼を言ってもらえれば、それだけ徳を積める。

この道理をわきまえて、毎日、励めば必ず道は開ける」

民次郎は、すっかり感心して明るい顔で郷里へ旅立った。


笠巻勝利氏の『目からウロコを落とす本』(PHP文庫)より


自分の利益を先に考えるより、他人の幸せを先に考える利他の人が、まわりの協力を得て、運も味方してくれるのでしょう。

 

本日の一話<11月1日>

些細なことだが、こういう律儀な人がいる。

コンビニでお手洗いを借りたら、そのコンビニで必ず買い物をする。

あるいは、自転車が横倒しになっていたら、できるだけ立ててあげる。

足元にペットボトルが転がっていたら、さっと拾ってごみ箱に入れる。

ファミレスで会計するときは「ごちそうさま」をいう。

横断歩道で、右折車が「先へ行け」の合図をしてくれたら、軽く頭を下げる。

誰が見ているわけでもなく、誰から強制されたことでもない。

したがって、そうしたからといって、誰もほめてくれないのだが、こういう振る舞いをごく自然にやれる人は、本物の社会性を身につけている。

一つひとつを見れば、どういうことのないものばかりだが、できる人とできない人いるのはなぜか。

社会性への自覚があるかないかの差なのだ。

社会性をひと通り身につければ、黙っていてもそれだけで人間的魅力度の平均点はとれるのだ。


川北義則氏の『「人間的魅力」のつくり方』(三笠書房)


些細なことを大切にしたいですね。

そんな些細の積み重ね。
  

本日の一話<10月31日>

絵の値段と、芸術的価値とはまったく関係がない。

むしろ、つまらない媚びたような絵こそ、高い値段で売り買いされることが多いんだね。

ところが、一般の人は、とかく値段を評価の基準にしてしまうだろう。

ほう、これが何億円の絵ですか、なるほど素晴らしい、なんて絵そのものより値段のほうに感心して、ぞろぞろ人がつめかけたりする。こんなバカバカしいことはないよ。
いくら値段が高くたって、それが必ずしもその画家の偉大さを表しているとはかぎらない。
よい例がゴッホやセザンヌだ。

このふたりの絵は現在最高の値段だが、ゴッホは生きている間は一枚も絵が売れなかった。

セザンヌは67歳で死ぬまでに、一生の間でわずか3枚しか売れなかった。

3枚しか売れなかったというのは、ぜんぜん売れなかったのとおなじだ。

だから、生きているときにその人の絵が安かったからといって、価値がないとは言えない。

ふたりとも亡くなってからその絵が評価された。

ほんとうの価値は死後わかる場合だってあるんだよ。

この事実を見ても、いま生きている芸術家の絵が高いから安いからといって、それが必ずしもその画家の芸術的価値につながるとは言えないことがわかるだろう。

ほんとうの芸術とは時代を超えたものなんだ。

しかし、時代を超えていると値段はつかないものでね。

だからその画家が亡くなってから高価なものになる。

そのときになって、世の中の人ははじめて彼の芸術の偉大さに気づくものなんだよ。


岡本太郎氏の『自分の運命に盾を突け』(青春出版社)より


もの価値とは、ある意味、曖昧なものなのですね。

本日の一話<10月30日>

私たちは、人間以外は言語を発しないので、コミュニケーションがとれていないと思っていますが、組成構造物質は全部一緒で、意識が入っています。

目の前にいる鉱物、植物、動物すべてを大事にしていると、すべてが味方になってくれます。

道具を使っているならば、その道具一つひとつから喜ばれるように、できる限り丁寧に親切に扱って初めて、大事にしていることになります。

台所で、出刃包丁を使っているときに、手が滑って落としてしまうことがあります。刃のほうが重いので、普通なら足の先にズブッと刺さってしまうはず。

ところが、この出刃包丁は、いつもいつも「あなたのおかげで力を入れずに楽に切れます。

あなたがよく切れてくださってありがとう」とお礼を言われていたとする。落ちるにあたって、この人を傷つけるわけにはいかないと、なぜか柄のほうが先に落ちて、足を怪我しないことがあります。

目の前に人がいるなら、その人を大事にして、敬語や温かい言葉を投げかけていくと、人間関係も変わっていくようです。

ある方からこういう質問を受けました。

「子どもが引きこもっていて、言うことをきかないのです」「もしかして、呼ぶときに呼び捨てにしていますか?あるいは、おまえと言っていませんか?」そう言うと、たいがいどちらかに当たります。

相手に対して、自分が投げかけた呼び名が、自分に返ってきます。

私は、これまでの人生で、どうも「言葉が喜ぶ使い方」というものがあるように感じました。

「そうだよ」という言葉より、「そうなのですよ」というように「です」「ます」で言ったほうが、言葉も喜ぶようです。

日本には、敬語というとても美しい言葉があります。

なるべく意識して使うようにすると、言葉が喜んで、味方をしてくれます。

丁寧な言葉を投げかけると、自分も丁寧な言葉に囲まれていき、人間関係もスムーズに流れていきます。

私たち人間だけが、特別の存在ではありません。

無機物だと思われている物には、全部魂が入っていて、その魂がすべて味方になってくれると、人生がどんどん違ってきます。

すべてを丁寧に扱っていくことを積み重ねていったら、これからどんな人生が来るか、ワクワクしませんか。


小林正観さんの『笑顔で光って輝いて』(実業之日本社)より


私たちは、掛けられた言葉で、怒りもすれば、感動もすれば、喜びも、悲しみもする。

言葉には、力がある証拠ですね。


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