キリスト教では、
「その通り」「神さまのおっしゃる通り」という意味で
お祈りの最後に「アーメン」と言います。
それでみんなが安心するのです。
仏教の浄土真宗系の人は、
お経の終わりに「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と念仏し、
最後に「南無阿弥陀仏。」と「。」がついた念仏を称(とな)えて安心します。
これで「大丈夫だ」と思えるのでしょう。
いつの頃から、私も診療を終えた子どもたちに、必ず「大丈夫。」と言っているようです。
私はこれまで、友人にだまされて借金ができても、
子どもが受験でうまくいかなくても、
「どうにかなるだろう」と思って暮らしてきました。
今後、何か起こるかもしれないけど、
それでも、「まあ、大丈夫だろう」という根拠のない大丈夫感には自信があります。
人間は、常にさまざまな状況に直面します。
そんなときに、「もうだめだ、もうだめだ」と思っても大丈夫だったから、
その人は今まで生きているわけです。
「もうだめだ」と思うよりは、
「大丈夫」と思って生きているほうが絶対にいい。
「大丈夫、大丈夫」と言うときに、
私たちは「大丈夫。」の中にお祈りの気持ちを込めていいます。
そういうお祈りの気持ちが入っているような「大丈夫。」が
与える信頼感で結ばれた人間と人間のつながりが、とても重要だと思います。
不安や疑問を抱いている人にとっては、
大丈夫感を持つ人から「大丈夫。」と言ってもらえることが安心のもとなのです。
だから、「大丈夫。」もお祈りの一つなのです。
聖路加国際病院小児総合医療センター長、
細谷亮太氏の『きっと「大丈夫。」』(致知出版社)より抜粋
『きっと「大丈夫。」』魔法の呪文になるかもしれませんね。