見えない世界の代表選手に輪廻転生という仕組みがあります。
生まれ変わりに関する仕組みというわけですが、そのシステムがどうなっているのか、
死亡から再誕までのメカニズムに関してはさまざまな解釈があり、
その情報を掲載するだけで数冊の本ができてしまうほどです。
要するに、何となくわかるようで、その本質が誰にもわからないのです。
これまでの人生、そして今回の人生も、
それぞれにミッション(使命)があることを意識すれば、
前回、または前々回、あるいはそのもっと前の人生で、
自分が何者だったのかという議論にはほとんど意味がないことがわかるでしょう。
今回の人生が終わっても、まだまだ先は長いのです。
何度も転生し、神様と一緒に多彩なエピソードを重ねているのだと感じます。
私たちは生きているのではなく「生かされている」のです。
それは自分がどんな状況にあっても絶対に忘れてはなりません。
神様、摂理、大いなる存在...呼び方はさまざまあれども、
私たちが今、この世で暮らしているのはそういう存在の恩恵、つまりおかげです。
神様と一緒にエピソードを重ねているのだと述べましたが、
エピソードには良いことも悪いこともあります。
エピソードは淡々と起きるだけですが、
それを私たちが「良い、悪い」と勝手に判断しているだけです。
自分がなぜ、こういう立場で生まれてきたのか、今なぜこういう状況にあるのか、
そういうことの一つひとつにまで意味があります。
なぜ人間は生まれて死ぬのか、どうして生きているのか、
素朴な疑問ですが、そこに意味を見出すことはとても大切です。
ボーイスカウト日本連盟の初代総長となった後藤新平氏が
スカウト運動の本質について問われた際、
「人のお世話にならぬ様(よう)、
人のお世話をする様、
そして酬(むく)いを求めぬ様」
(自治三訣・さんけつ)と言いました。
東京大学医学部教授、矢作直樹氏の『いのちが喜ぶ生き方』(青春出版社)より抜粋