私自身の過去を振り返ってみましても、飢餓状態になるとスイッチが入るというお話はよく分かります。
実は私は小学校六年になる頃、朝学校に行く時間になると頭が痛くなり、いまでいう登校拒否になりました。
その時に母から言われて、一年間休学したのです。
病院に行っても原因が分からなくて、母は私が心の病になっていることに気づいたのですね。
母は校長に呼ばれて随分叱られたようでしたけれども、頑として行かなくていいと。
でもそのおかげで、活字を読む習慣が身につきました。
家にいても何もやることがないのですから、母の書棚にあった婦人雑誌や本を読んで過ごしたのです。
そして一年遅れて六年になりましたが、友達もいないので毎日問題集を眺めて過ごしていたら、中学校に入って受けた実力試験でクラス二番になりましてね。
友達から口々に「勉強ができるんだね」なんて言われて、それをきっかけに人間がガラッと変わったのです。
高校では生徒会長や文化祭委員長まで務める活発な人間になりましたが、あの不登校の一年がなければそういうことはあり得ませんでした。
あの一年間は私にとってまさしく飢餓状態でした。
その不登校の体験から確信したことは、人間は変われるということです。
それは私の教育の原点でもあります。
月並みかとは思いますが、人生では決して遅すぎるということはない、いくつになっても変われるチャンスはあると私は信じています。
ただ、それは何の努力もせずにある日突然か変われるということではありません。
今日よりは明日、明日よりは明後日、0.1%でも0.5%でも成長する努力を積み重ねている人だけにチャンスは訪れるものです。
年齢は関係ありません。
"人間の可能性はいくつになっても開ける" 『月刊致知 2014年10月号』より抜粋
「人間は変われる」当たり前のようですが、意外に思い込み、諦めということあるように思います。
人間は変われる、ただ急には変われない少しずつしか変われない。
信じてその少しを続けられるかどうかで差が出てくるのでしょう。