私たちは、人間以外は言語を発しないので、コミュニケーションがとれていないと思っていますが、組成構造物質は全部一緒で、意識が入っています。
目の前にいる鉱物、植物、動物すべてを大事にしていると、すべてが味方になってくれます。
道具を使っているならば、その道具一つひとつから喜ばれるように、できる限り丁寧に親切に扱って初めて、大事にしていることになります。
台所で、出刃包丁を使っているときに、手が滑って落としてしまうことがあります。刃のほうが重いので、普通なら足の先にズブッと刺さってしまうはず。
ところが、この出刃包丁は、いつもいつも「あなたのおかげで力を入れずに楽に切れます。
あなたがよく切れてくださってありがとう」とお礼を言われていたとする。落ちるにあたって、この人を傷つけるわけにはいかないと、なぜか柄のほうが先に落ちて、足を怪我しないことがあります。
目の前に人がいるなら、その人を大事にして、敬語や温かい言葉を投げかけていくと、人間関係も変わっていくようです。
ある方からこういう質問を受けました。
「子どもが引きこもっていて、言うことをきかないのです」「もしかして、呼ぶときに呼び捨てにしていますか?あるいは、おまえと言っていませんか?」そう言うと、たいがいどちらかに当たります。
相手に対して、自分が投げかけた呼び名が、自分に返ってきます。
私は、これまでの人生で、どうも「言葉が喜ぶ使い方」というものがあるように感じました。
「そうだよ」という言葉より、「そうなのですよ」というように「です」「ます」で言ったほうが、言葉も喜ぶようです。
日本には、敬語というとても美しい言葉があります。
なるべく意識して使うようにすると、言葉が喜んで、味方をしてくれます。
丁寧な言葉を投げかけると、自分も丁寧な言葉に囲まれていき、人間関係もスムーズに流れていきます。
私たち人間だけが、特別の存在ではありません。
無機物だと思われている物には、全部魂が入っていて、その魂がすべて味方になってくれると、人生がどんどん違ってきます。
すべてを丁寧に扱っていくことを積み重ねていったら、これからどんな人生が来るか、ワクワクしませんか。
小林正観さんの『笑顔で光って輝いて』(実業之日本社)より
私たちは、掛けられた言葉で、怒りもすれば、感動もすれば、喜びも、悲しみもする。