絵の値段と、芸術的価値とはまったく関係がない。
むしろ、つまらない媚びたような絵こそ、高い値段で売り買いされることが多いんだね。
ところが、一般の人は、とかく値段を評価の基準にしてしまうだろう。
ほう、これが何億円の絵ですか、なるほど素晴らしい、なんて絵そのものより値段のほうに感心して、ぞろぞろ人がつめかけたりする。こんなバカバカしいことはないよ。
いくら値段が高くたって、それが必ずしもその画家の偉大さを表しているとはかぎらない。
よい例がゴッホやセザンヌだ。
このふたりの絵は現在最高の値段だが、ゴッホは生きている間は一枚も絵が売れなかった。
セザンヌは67歳で死ぬまでに、一生の間でわずか3枚しか売れなかった。
3枚しか売れなかったというのは、ぜんぜん売れなかったのとおなじだ。
だから、生きているときにその人の絵が安かったからといって、価値がないとは言えない。
ふたりとも亡くなってからその絵が評価された。
ほんとうの価値は死後わかる場合だってあるんだよ。
この事実を見ても、いま生きている芸術家の絵が高いから安いからといって、それが必ずしもその画家の芸術的価値につながるとは言えないことがわかるだろう。
ほんとうの芸術とは時代を超えたものなんだ。
しかし、時代を超えていると値段はつかないものでね。
だからその画家が亡くなってから高価なものになる。
そのときになって、世の中の人ははじめて彼の芸術の偉大さに気づくものなんだよ。
岡本太郎氏の『自分の運命に盾を突け』(青春出版社)より
もの価値とは、ある意味、曖昧なものなのですね。