社長でも部長でも課長でも、愚痴や悩みをいえる部下が大勢の中に一人でもあれば、非常に精神的に楽になると思う。
それによって、自分の持てる力を十分に発揮することができるようになる。
けれども、よく働く人はたくさんあっても、自分の悩みを訴える部下がなかったら疲れてくる。
それで、いい知恵も出ないし、自分の働きが鈍ってくるということも起こり得るわけである。
実は、私自身が多少神経質なところもあって、そういうことを身をもって体験してきた。
私の今日あることの一つの大きな原因としては、そのような人に比較的恵まれたことがあげられると思う。
いろいろと煩悶した時に、それをうまく聞いてくれる人が、私の場合はわりと多かった。だから幸いにして愚痴がいえた。
それで、少々のことでも愚痴をいって、気がスッっとする。
晴れ晴れとした気分になって、力いっぱいに仕事に打ちこめるというような姿で、今日までやってこれたわけである。
だから、相当の仕事をする人、何らかの意図を持って事業をしようというような人は、そういった愚痴をいえる部下をかたらわらに置いておくことが望ましいと思う。
もちろん非常に働きがあって立派な仕事をする部下、現実に商売をして大きな成果をあげるという人が大切なのはいうまでもないことである。
しかし、そういう人だけでなく、働きはそれほどでなくても、愚痴をうまく聞いてくれるような人がいないと、事業に成功し、社会人として成功することはむずかしいのではないかと思う。
太閤さんにとって、加藤清正とか福島正則といった武勇にすぐれた部下ももちろん必要だったが、そういう人だけでなく、その心の憂(う)さを汲みとって晴らすことのできる石田三成がいたことによって、太閤さんの知恵才覚なり、働きが非常にのびた。
それで天下がとれたし、そこに三成の存在意義というものもあったのだろうと考える。
松下幸之助氏の『人事万華鏡』(PHP文庫)より
あの松下幸之助氏も愚痴をいうことあったんだと思うと、気が楽になりました。
決して裏切らないでずっと味方でいてくれるような人には、弱い自分を見せることも、愚痴をいうこともできるのでしょう。