維新後間もなく武家は廃刀令によって武士の命である刀を奪われ、「武士」という身分さえも失いました。
その日の糧さえ得るのが難しい暮らし向きだというのに、そのうえもってこの扱いでは、どれほど誇りを傷つけられたか知れません。
維新後のことを父親から聞いた祖母は、じじさまはいっそ自害するとは言い出さなかったのか、父はどうして耐えることができたのか、と訊ねたことがありました。
「すると父は笑い飛ばすような勢いで陽気に言ったのですよ。
そのようなことにへこたれてしまっては面白くないからのう。
誇りを傷つけられたなどと自害しては相手の思うつぼじゃ。
お前のじじさまは誇りをもって帰農したのだ。
自らの食い扶持を自らの手でつくるのだ、誇りをもたぬわけがない。
ばばさまにしたって、お前も憶えておろう、得意のお縫いやお仕立てで一所懸命一家を支えたではないか。
どんな目に遭おうとも、どっこいそれがどうしたと、知恵と心意気で相対してやるのだ。
士族が無くなろうと西洋張りの日本国が生まれようと、武士の心意気が生きていることを見せてやるのよ。
とまあ、想像もしなかったお返事だから、私は驚いての。
けれど、これが天晴れということかと、私の気持ちまで晴れ晴れしたものです」
苦境に追い込まれて陰々滅々としてしまっては、再起を図る力など湧いてはきません。
落ち込んでしまう自分に打ち勝って、自ら陽気にしてみることは、乗り越える力を得る第一歩になるにちがいありません。
明治の日本人の姿を活写した小泉八雲は『日本人の微笑』の中で、「日本人は心臓が張り裂けそうな時でさえも微笑んでみせる」と綴っています。
東日本大震災の直後、多くを失ったにもかかわらず、微笑を浮かべながらインタビューに答える被災者が少なからずいました。
私たち日本人は困難な時でも明るく立ち向かおうとする意識を潜在的に持って生まれてきているのかも知れません。
私が沈んでいる時、「空元気(からげんき)でも元気は元気。そのうち本物の元気が湧いてくるよ」と祖母が声をかけてくれたことがありました。
苦労の多い人生を歩むことになった祖母は、折々、曾祖父の力強い言葉と、その陽気さ元気さがいかに自分の心をどれほど晴れやかにしたかを思い出したのかもしれません。
そしてその都度、「武士は食わねど高楊枝」とばかりに胸を張ったのでしょう。
見栄を張るためではない、誇りを守るための「やせ我慢」とは、なんと恰好いいやせ我慢でしょう。
石川真理子氏の『女子の武士道』(致知出版社)より
現代に「侍」がいたらどんなだったのでしょうね。
武士道とは、、、