ヨーロッパのある機関のトップをやっている人に、ある日本人がこう尋ねました。
「あなたはたくさんのいろんなヨーロッパの要人・要職にある人に会ってきたと思うが、その人たちの共通項というのは一体なんだろうか。それを教えてほしい」
と問いかけたというのです。
問いかけた人は、当然のことながら、共通項としては指導力・責任感・調整能力、それから努力の人であるとか、そういう言葉が返ってくると思っていたそうです。
その質問を受けたヨーロッパの要人の方は、10秒ぐらい考えてから、こう答えたそうなのです。
「第一の共通項は、運がいいことだ」ここからが重要なポイントですが、生まれながらにして運がいい人悪い人というのに分かれているわけではないようです。
実は、運を手に入れる方法があります。
そして、運を手放してしまうという方法もあるのです。
そこにある種の方程式がありました。
現在のパナソニック、昔の松下電器産業ですが、この創始者は松下幸之助さんです。
松下幸之助さんは、生きている間ずうっと「わしは運が強い。運の強い男だ」と言い続けました。
その実例に使われたのが、商品を運んでいる少年時代に路面電車のレールに自転車のタイヤが滑ってしまい、転んでしまうというような話でした。
路面電車はすぐに気がつき急停車し、体の前で止まってくれました。
「電車も止まってくれたし、まわりの人も商品を拾って集めてくれて、わしは運が強い」と言い続けたそうです。
さらに、大阪湾内で、夏の日に海に落ちたこともありました。
この時も船が気がついて、松下少年は事なきを得たのですが、このときも「わしは運が強い」と言い続けました。
「もし冬の日だったら、病弱な自分は助からなかっただろう。落ちたのが夏でよかった。わしは運が強い。運が強かった」
と言い続けたのです。
運が強い人は自転車で転んだりはしないだろうし、海で落ちたりもしないと思うのですが、そこのところは、松下幸之助さんの独特の人生観・世界観があったようです。
幸之助さんはありとあらゆる事件をとらえては、「わしは運が強い。わしほど幸運な人間はいない」と言い続けました。
その結果として、まわりの人が驚くような幸運な人、強運な人になっていったというのです。
まわりの人が言うには、「幸運強運というものは、そう思い続け、そう言い続けることで獲得できるものではないのだろうか」ということでした。
そのように言い続け、思い続けることで、実際にどんどんまわりの人が見て「運が強い。運がいい。強い運だ」というような人になっていくのではないかというものです。
もともと運がいいとか悪いとかというのはありません。
「これが運がよくて、これが運が悪い」というものは、宇宙的には存在しないのです。
しかし、人間の心の中にその評価評論は存在します。
一つひとつの事件について運がいいとか悪いとか、自分が勝手に決める心があります。
自分が決めるにあたっては、ありとあらゆることを全部強運だ、運が強い、幸運だというふうに言い換えることができます。
幸之助さんは、それらすべて「自分にとって強い運である。強運である」というふうに言い続けました。
その結果として、ものすごくラッキーでついている人生に、結果としてなっていったようなのです。
小林正観さんの『啼かなくていいホトトギス』(中経出版)より
「これが運がよくて、これが運が悪い」というものは、宇宙的には存在しない、人間の心の中にその評価評論が存在するだけなのですね。