松下幸之助氏が採用試験の面接で人を選ぶ際は、
「運のよさそうな人、愛嬌のいい人、辛抱に耐えられそうな人」
の3つを基準にしたそうですが、実に的を射ています。
「私は運がいい」と本気で言える人は、実際に運に恵まれる確率が高いものです。
松下幸之助氏自身も「私は運がいい」と毎日20回は言われたそうです。
私もこの話を若い時に知り、以来、この「私は運がいい」という言葉をいい続けています。
今では家族全員がこの言葉の愛用者になっています。
私は中学生の時、満州から引き揚げてきた国語の先生から「虚にして往き実にして帰る」という言葉を教わり、こう言われました。
「毎朝、何も入っていない袋を持って家を出た人が、その日一日頑張って、その袋にたくさんの収穫物を入れて帰るように、君たちも毎日の生活から必ず何か役に立つことを学んで帰りなさい。満州から辛い思いをしながら幸運にも帰国できた私が言うのだら信じなさい」
以来、私はこの言葉が一つの指針になりました。
失敗をしても、そこから何かを学ぶ姿勢を保ち、その姿勢を強くするためにも「私は運がいい!」と言い続けてきました。
もともと世の中には一つの事実が存在するだけです。
それを良いと判断するか、悪いと判断するかは、当事者の考え方次第です。
どんな苦しいことに遭遇しても、これは自分にとって欠かせない貴重な経験だ、ここから学ばなければならないと思えば、その状況がプラスに作用し、いい結果を手にできます。
毎朝、今日はどんな新しい経験ができるかと胸をわくわくさせながら家を出れば、すべてが自分の得になり、明るく生きられます。
満州から命からがら引き揚げてきた先生も、その辛い日々をこれもいい経験と自分に言い聞かせながら、必死で帰ってきたのです。
田中真澄氏の『田中真澄の88話』(ぱるす出版)より
事実はひとつ、解釈は無数。
どう捉えるかですね。