「挨拶行」
サッカー元日本代表監督の岡田武史さんが、母校の早稲田大学での講演で
「挨拶とは、僕は君という人間が僕の世界(心)に存在することを認めていますよ、許しているんですよという相手に対する合図だ」
とおっしゃったそうです。
もし、AさんがBさんに挨拶しないとします。
Bさんは全然挨拶が返ってこないものですから、次第にAさんに挨拶しなくなります。
Bさんは次第に自分の世界(心)にAさんが存在することを認めなくなる、許さなくなるということ。
もし、Aさんが困っていてもBさんは無視するということになるかもしれません。
Aさんが意見を主張してもBさんは賛成、協力しない、そのような状態になってしまいます。
では、Bさんの態度が正しいのかどうか?
BさんがAさんに挨拶してもAさんは挨拶してこない。
そのことに腹を立てて、もうAさんに挨拶しないとしたら、そのぶん、Bさんの世界(心)は狭くなってしまった。
心が狭くなると「徳」が減る。
挨拶は見返りを求めるものではない。
好きな人も、嫌いな人も、みんな自分の世界(心)の内側に存在することを許し、認める。
挨拶はそんな器の大きな人物(徳の高い人)になるための、とてもいい練習なのだそうです。
それを「挨拶行」と言うそうです。