大切な人は
仮に、自分の命があとわずか、それも残り一週間としたら?
体が動かせるなら、多くの人が身辺整理と別れの挨拶を選ぶでしょう。
仮に病で寝たきりとなっていても、
周りの人が気遣って本人が会いたがっている人を呼ぶでしょう。
自分が最期に会いたいと心から思う人こそ、自分自身が本当に大切に思っている人。
その人に感謝していること、謝罪したいこと、思っていることを伝えるのでしょうね。
少し現実的な話ですが、いわゆる「人・物・金」の身辺整理もしなければならないでしょう。
本来、身辺整理は余命を宣言されてから始める作業ではないのかもしれません。
普段から考えておく、つまり「そこに少し意識を向ける」ことが大切なのでしょう。
「余命一週間」のイメージを定期的におこなってもいいでしょう。
そうすると、本当に大切なものが明確になる。
大切なもの、こと、人が時に変わることもあるらしいです。
ところで
亡くなってあの世に行く前に、誰もが一度は「浄玻璃の鏡」の前に立つといわれる。
生まれてから死ぬまでの間の、人に与えた喜びと、人に与えた悲しみが、
走馬灯のように一瞬にしてその鏡の中に再現される。
人に与えた悲しみが多ければ、
身もだえするような苦しさとなり、深い後悔の念にかられ、針のむしろ。
人に与えた喜びが多ければ、
喜びがこんこんと湧いて、うれしくて、楽しくて仕方なくなるそうです。
今朝、訃報が届きました。
私と同い年の男性、
私が独立起業して最初に取引をしてもらった電材問屋の営業所長さん。
きっと、多くの人に喜びを与えてきたのではないかな。
心より故人のご冥福をお祈りいたします。