既に身の回りにある
先日は、アメリカのフロリダでISの銃乱射テロがありました。
中国上海の空港でも、爆発事件がありました。
どこで、巻き込まれるかわかりませんね。
最近のFBIの統計では、日本が最も安全な国と言われているそうです。
別の安全や平和度の統計でも、日本は世界の中で常に10位以内に入っているという。
テロや暴動、戦争といった危険度の高い国が多いなか、
日本に生まれたことが運がいいし、
そこにありがたさと、しあわせを感じなければいけないのかもしれません。
同じ出来事にであっても、考え方が違うだけで、しあわせにもふしあわせにもなる。
しあわせや、ふしあわせという現象があるわけではなく、それをそう思う心があるだけ。
病気や事故にあったとき、「この程度ですんでよかった」、と思えるかどうか。
反対に、「なぜ、私ばかりこんな目にあわなければいけないの」と嘆くのか。
自分の周りに「しあわせ」はすでにあって、それをしあわせと気づき思えるかどうか。
サッカーが好きな人は、相手から邪魔されたりすることも、おもしろさを感じるという。
だから人生も邪魔する人が現れたら「これでもっとおもしろくなるぞ」って思えたら、
その人の人生はますますおもしろくなるのかもしれません。
「しあわせ」とは、与えられるものではなく"探すもの"なのでしょう。