自らの限界を
歴史上「天才」と言われる人たちは、ある年代、特定の場所に集中的に登場するそうです。
たとえば、紀元前440年から前380年のアテネでは、
プラトン、ソクラテス、ヘロドトス、エウリピデス、アイスキュロス、アリストパネス。
1440年から1490年のイタリア・フィレンツェでは、
ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ギベルティ、ボッティチェッリ、ドナッテロ。
シェークスピア時代のイギリスは、
ベン・ジョンソン、エドマンド・スペンサー、フラシス・ベーコンといったように。
日本でも、幕末から明治維新にかけて、
桂小五郎、坂本龍馬、大隈重信、高杉晋作、勝海舟、伊藤博文、大久保利通、西郷隆盛、吉田松陰、山形有朋といったすぐれた人たちが同時代に活躍しています。
統計学者のデヴィット・バンクスという人が、「多すぎる天才」という論文の中で、
天才たちが出現する時代や場所は集中する傾向があると言っている。
そのデヴィット・バンクスは、天才が同じ時代・場所に集中する条件として、
次の3つを挙げているそうです。
①多様な人間の交流がある場所
②教育と学習の新しい形を切り開いた場所
③リスクを取ることを支援する社会システム
ちょっと難しいですね。
簡単に考えると
一般の社会に大きな影響力を及ぼす人が一人登場すると、時代の空気が変わる。
「できない」という空気から、誰かが達成することで「自分にもできる」と
時代の空気が変わり、その時代に生きる人たちの限界が取り払われるのかもしれません。
その時代に生きる人々に無意識的に影響を与える「時代の空気」というものがある。
自分の限界は、もっともっと上かもしれませんね。