もう50年以上も前の昭和34年から知的障害者を採用し始め、
約80人の従業員の中で、知的障害者が社員の7割を占める会社があるという。
粉の出ないダストレス・チョークで3割のシェアを持つ「日本理化学工業」。
当時の社長が、近くの養護学校から、卒業予定の2名に、
採用はできなくとも、せめて働く体験だけでもさせてくれないか、
と頼み込まれて、引き受けたのが始まりだったという
二人の少女が1週間だけ作業体験をした。
その仕事に打ち込む真剣さ、幸せそうな顔に周囲の人々が心を打たれた。
約束の1週間が終わる前日、十数人の社員全員が社長を取り囲んで、
「みんなでカバーしますから、あの子たちを正規の社員として採用してください」と
訴えたそうだ。
社長は、会社で働くより施設でのんびりしている方が楽なのに、
どうして彼らはこんなに一生懸命働きたがるのだろうか、疑問に思ったという。
これに答えてくれたのが、ある禅寺のお坊さん。
幸福とは「人の役に立ち、人に必要とされること」。
この幸せとは、施設では決して得られず、働くことによってのみ得られるものだと。
それなら、そういう場を提供することこそ、
企業の存在価値であり社会的使命なのではないかという思いに。
これ以来、50年以上、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けた。
しかし、この50年間の歩みは順風満帆なものではなく、
「私たちが面倒をみますよ」と言ってくれた社員ばかりのうちは良かったが、
やがて後から入ってきた人たちには不満が募った。
当たり前のことだが、
企業は市場競争に勝って、利益を生み出さなければ生き残っていけない。
障害者だから生産性は低くとも良い、ということではない。
だからこそ、知的障害者でも健常者並みの品質、
生産性を発揮できる工程を必死で考えたという。
全工程を細かく観察して、
知的障害者たちが作業に集中できるように工程を単純化。
その結果、自分の持てる能力を最大に発揮して、
健常者以上の仕事ができるようになったのだという。
世の中の黒板が、ホワイトボードに変わり始めたころ、
そんな思いに賛同する多くの協力者に支えられ、
平成17年には、まったく粉が出ず、ホワイトボード、ビニールやガラス、
鏡などにもチョークの書き味で書け、
水拭きで簡単に消せる新商品「キット・パス」が生みだした。
学校はもちろん、企業や病院、工場現場でも利用が広がっていったそうだ。
運、チャンスを「善の思い」が引き寄せたのでしょう。