600年前に能を大成した世阿弥の記した「花鏡」の中の言葉。
「是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。」
「是非の初心」とは、未熟だったときの芸を忘れない、ということ。
「時々の初心」とは、その年齢、その段階では初心者であり、
そのことを忘れない、ということ。
「老後の初心」とは、老年になっても初めて経験する芸もあり、そこにも初心がある。
年を重ねたからと言って慢心してはいけない。
いくつになっても、その年齢やその段階での初心があるということですね。
「初心」とは「初々しい心」ということでもあるが、
「初々しさ」とは、素直さのこととも言えるのでしょう。
あの松下幸之助氏は、「素直な心」を以下のように定義していたそうです。
『素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、
分を楽しむ心であります。
また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります』