許すということは、損をすることなのかもしれない!?
だから、許すということは難しい。
こんな一つの詩。
『もしあなたが、誰かに期待したほほえみが得られなかったら
不愉快になる代わりに あなたの方からほほえみかけてごらんなさい
実際、ほほえみを忘れた人ほどあなたからのそれを
必要としている人はいないのだから』
貰えるはずのものが貰えなかっただけでも「損した」と思うのに、
こちらがそれを与える、これでは“ダブルの損”?!
ところが、実は、ダブルに損をすると「得になる」らしい。
思い切ってダブルに損をすると、
そこには、ほめてやりたい自分が残り、
「よかった」という満足感が不思議にも残るらしい。
ダブルの損を実行するのは決して易しいことではない。
まず、相手の立場になる心のゆとり。
「相手こそ、私の欲しいものを私以上に必要としているのだ」と考えることができるゆとり。
それは一つの“許し”なのかもしれません。
自分の生活を大切にしたいなら、相手を許さないといけない。
許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるのかもしれません