自分の好きなことを仕事としてやっていくことができる人は、本当に幸運だと思います。
僕自身、そんなことはほとんどできていません。
やりたくもない予備校講師を長年やってきたことで、ようやく自分が一番やりたい本を書くという仕事の依頼を次々といただけるようになりました。
ところが、本を書くより好きだとはとても言えないテレビの出演の依頼も多数いただけるようになり、肝心な本を書く時間をほとんど捻出できない状況です。
だったら、テレビの仕事を断ればいいではないか、という声も聞こえてきそうです。
それはもっともですが、「それはちょっと違う」と言いたいのも事実です。
みなさんは、自分の「交換可能性」ということについて考えたことがありますか?
僕は、このことに絶えず自覚的です。
仕事を断ることは簡単ですが、僕でなければできない仕事などほとんどありません。
そう、僕にできる仕事は、基本的には他の誰でもできるのです。
にもかかわらず、相手はぜひ僕に、と依頼してくれた...。
どこに断る理由があるのでしょうか?
ありがたくお受けして、そこで全力を尽くすだけです。
そして、依頼してくれた相手が、「やっぱり林さんにお願いしてよかった」とほほ笑んでくれれば、それでよいではありませんか。
こういった「交換可能性」は、すべての人に当てはまる話なのです。
「オレがいなかったら、この会社は立ち行かないよ」こんな妄言はありません。
その人がもしいなくなっても、おそらくその会社はしっかり営業を続けるでしょう。
組織とはそういうものであり、また、そういうふうに組織づくりを行うべきなんです。
そんなふうに、誰しもが「交換可能性」に脅かされるように生きているなかで、『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんは、次のようにおっしゃっています。
『運に巡り合いたいのならば、なんでも引き受けてみるといい』自分の好き嫌いなどという小さな物差しにこだわらないことが、運に巡り合う秘訣だ。
そう読み替えることもできるでしょう。
そういうものなんですよ。
これは、僕がいただいたテレビの仕事に全力で向き合ったからこそ出会えた言葉なんです。
『やりたくない仕事に全力で打ち込むことが、やりたい仕事に自分を近づけてくれるという逆説』そんなふうにも言えるのではないでしょうか。
逆に、『やりたいことにこだわりすぎるがゆえに、逆にやりたいことができなくなってしまうという逆説』これもまた真実のような気がします。
会社に入って、最初に配属されたのが希望した部署ではなかったと、モチベーションが下がってしまう人がいます。
ひどい場合は、それだけで会社を辞めてしまう人さえいます。
「僕にはそれはできません」「私はこれしかやりません」と拒否することが、結果的には自分の可能性を狭めることになる場合が少なくないのです。
自分にどんなポテンシャルが眠っているのかは、案外自分ではわからないもの。
第三者が客観的に見たうえでの、「この人にはこの仕事をやらせてみよう」という判断は、意外に正しい場合が多いのです。
ですから、自分のモノサシにこだわって、まだわからない未知の才能が花咲く可能性をつぶしてしまうのはもったいない。
やなせさんのような、こんな仕事もやってみるか、という柔軟な姿勢から好結果は生まれるものなのです。
林修氏の『林修の仕事言論』(青春出版社)より
目の前のことを一生懸命やることが大切だと思っています。
精一杯