ALPHAN有限会社

2014年12月アーカイブ

本日の一話<12月24日>

世界No. 1コーチのアンソニー・ロビンズの言葉に、

「質問の質が、人生の質を決める」

という名言があります。

脳は質問をすると、自動的にその答えを見つけ出そうとします。

ですから、その質問がどのようなものであるかによって答えも決まり、最終的には、良い質問をすればするほど良い人生が送れるということになります。

そこで、、、ミラクルクエスチョンと称し、ビジネスを成功に導くためあらゆる場面で私が良く使う質問があるので、ご紹介しますね。

そのミラクルクエスチョンとは、、、

「もし、できるとしたら、どうすればいいか?」というものです。

このミラクルクエスチョンを自分自身に問いかけることで脳はできるようにするための答えを探し出してくれます。

何かをしたいときに「○○が障害だから、できないんだよなあ」と障害を認める言葉を自分に言い聞かせていては、いつまでたっても、その障害を乗り越えることはできないということです。


経営コンサルタント中井隆栄氏メルマガより


「もし、○○としたら」と○○を応用してみてもいいですね。

本日の一話<12月22日>

いつも一緒に仕事をしている人に「ありがとう。あなたのおかげでとても助かっている」と声をかけていきましょう。

家族との日常会話でも、頻繁に「ありがとう」を口にしましょう。

ごはんを食べながら「おいしいなあ。ママはホントに料理上手だ、ありがとう」。

仕事で夜遅く帰ってきたパパには「おかえりなさい。私たち家族のために頑張ってくれているのね。ありがとう」。

子供が何かを一生懸命にやっている姿を見て「あ、やってる、やってる!楽しそうだね。ありがとう」。

そんなふうに言われたら、最初はみんな驚くでしょう。

「どういう風の吹き回しだ。なにか後ろめたいことでもあるんじゃなかろうか」と怪しむ場合だってあるかもしれません。

それでも構わず「ありがとう」と言い続けていれば、周囲のあなたを見る目が変わります。

はっきり口に出すことはあまりなくても、「あの人のそばにいると楽しい気分になる」と心の中で歓迎してくれるのです。

職場の人間関係、友人とのつきあい、家族の仲がうまくいきだすのは、この「歓迎の気持ち」があるかないかにかかっていますよね。

あなたのほうから「どうか私を歓迎してください」と頼み込むのではなく、「いてくれて、ありがとう。私のほうこそ歓迎していますよ」と示せばいいんです。

高いお金を払って特別な贈り物を用意しなくても、言葉一つでそれができてしまうのですから、なんともお得な話じゃありませんか。

「ありがとう」の言葉も褒め言葉も、声にして発したとき、その影響力はぐんと強まります。

心中ひそかに思っているだけのときと比べたら、少なくとも10倍は影響力を増しているはずです。


佐藤富雄氏の『いい「口ぐせ」はいい人生をつくる』(大和出版)より


言ってそうで、あまり言ってないかもしれませんね。

「ありがとう」言葉にしないと伝わらないですよね。

確かに

本日の一話<12月20日>

ヨーロッパのある機関のトップをやっている人に、ある日本人がこう尋ねました。

「あなたはたくさんのいろんなヨーロッパの要人・要職にある人に会ってきたと思うが、その人たちの共通項というのは一体なんだろうか。それを教えてほしい」

と問いかけたというのです。

問いかけた人は、当然のことながら、共通項としては指導力・責任感・調整能力、それから努力の人であるとか、そういう言葉が返ってくると思っていたそうです。

その質問を受けたヨーロッパの要人の方は、10秒ぐらい考えてから、こう答えたそうなのです。

「第一の共通項は、運がいいことだ」ここからが重要なポイントですが、生まれながらにして運がいい人悪い人というのに分かれているわけではないようです

実は、運を手に入れる方法があります。

そして、運を手放してしまうという方法もあるのです。

そこにある種の方程式がありました。

現在のパナソニック、昔の松下電器産業ですが、この創始者は松下幸之助さんです。

松下幸之助さんは、生きている間ずうっと「わしは運が強い。運の強い男だ」と言い続けました。

その実例に使われたのが、商品を運んでいる少年時代に路面電車のレールに自転車のタイヤが滑ってしまい、転んでしまうというような話でした。

路面電車はすぐに気がつき急停車し、体の前で止まってくれました。

「電車も止まってくれたし、まわりの人も商品を拾って集めてくれて、わしは運が強い」と言い続けたそうです。

さらに、大阪湾内で、夏の日に海に落ちたこともありました。

この時も船が気がついて、松下少年は事なきを得たのですが、このときも「わしは運が強い」と言い続けました。

「もし冬の日だったら、病弱な自分は助からなかっただろう。落ちたのが夏でよかった。わしは運が強い。運が強かった」

と言い続けたのです。

運が強い人は自転車で転んだりはしないだろうし、海で落ちたりもしないと思うのですが、そこのところは、松下幸之助さんの独特の人生観・世界観があったようです。

幸之助さんはありとあらゆる事件をとらえては、「わしは運が強い。わしほど幸運な人間はいない」と言い続けました。

その結果として、まわりの人が驚くような幸運な人、強運な人になっていったというのです。

まわりの人が言うには、「幸運強運というものは、そう思い続け、そう言い続けることで獲得できるものではないのだろうか」ということでした。

そのように言い続け、思い続けることで、実際にどんどんまわりの人が見て「運が強い。運がいい。強い運だ」というような人になっていくのではないかというものです。

もともと運がいいとか悪いとかというのはありません。

「これが運がよくて、これが運が悪い」というものは、宇宙的には存在しないのです。

しかし、人間の心の中にその評価評論は存在します。

一つひとつの事件について運がいいとか悪いとか、自分が勝手に決める心があります。

自分が決めるにあたっては、ありとあらゆることを全部強運だ、運が強い、幸運だというふうに言い換えることができます。

幸之助さんは、それらすべて「自分にとって強い運である。強運である」というふうに言い続けました。

その結果として、ものすごくラッキーでついている人生に、結果としてなっていったようなのです。


小林正観さんの『啼かなくていいホトトギス』(中経出版)より


「これが運がよくて、これが運が悪い」というものは、宇宙的には存在しない、人間の心の中にその評価評論が存在するだけなのですね。

本日の一話<12月19日>

普通に生活をしていると忘れがちですが、私たちは「生かされている」のです。

そのことにもっと感謝しなければいけません。

生きているということは、それだけでありがたいこと。

本当に尊いことでです。

生きているから愚痴も言えるし、嫌味も言える。

死んだら、なんにもできません。

よく自分は運が悪いからと言う人がいるけれど、そういう人に限って誰かが手をさしのべてくれるのを待っているだけで、自分から動かない。

生きている、生かしてもらっているということへの感謝の気持ちがないのです。

いま生きているということは、それだけでものすごく強運なことなのです。

なぜなら、お父さん、お母さんがいて、そのまたお父さん、お母さん、さらにその先のと、どこまでも遡(さかのぼ)っていけるわけでしょう?

その間には、戦争があり、天災があり、飢饉(ききん)があり、さまざまな困難があり、たくさんの人たちが命を落としているのです。

そのなかを潜(くぐ)り抜け、生き残ってきたことを、強運と言わずしてなんと言いますか。

そういう代々の強運のDNAを受け継いでいるからこそ、私たちは、いまここに生きているのです。

だから、いまを生きている人間は、本来は誰もが強運の持ち主です。

それをまず自覚してみてください。

勝手に自分で、運が悪いと決めつけたり、負け組だからなどと諦(あきら)めたり。

そういう意識をもつことが、どんどん運を下げていくのです。


裏千家、千玄室氏の『いい人ぶらずに生きてみよう』(集英社新書)より


逃げないで前向きに生きていきたいですね。

自分の直感、直観を信じて、

本日の一話<12月18日>

医学博士の徳久克己氏は、自分の臨床の経験を通して、著書『心とカラダと運命』の中で、こう書いている。

顔が笑っている時には、カラダじゅう、全部いっしょに笑っているのです。手や足だけでなく、カラダの中の肺も胃も、心臓も、腎臓も腸も、髪も爪も、血液だって笑っているのです。その反対に、顔が悲しんでいる時には、カラダじゅう全部が悲しんでいるのです。このように、顔の表情とカラダの表情とは切り離すことができない、ということがわかりますと、顔の表情がカラダの健康と、密接な関係があることもわかります」

米国の社会教育家マーディンの今から七十年前に書かれた著書には、次のような一節がある。

『君が医者にかかる場合は、嬉しそうな、心の明るそうな容貌の人を選ぶことだ』

愉快な医者に接すると、薬よりも一層効きめがあることが往々にしてあるではないか。

日本でも江戸時代、いい医者を選ぶ基準として、「一に居ること、二に愛嬌、三、四、五がなく、六に腕」と言われたという。

腕前よりも、いつも居てくれて愛嬌いいことが上位にきていることに注目したい。

こうしてみてくると、今日ほど医学万能でなかった時代、経験から学んだ人々は、明るく生きることが何よりの病気治療という知恵を持っていたのだ。

幸い、この知恵は、現代にも生きている。

よくマスコミで伝えられるように、最近は欧米でも日本でも、笑いを治療に取り入れる病院が出てきており、その効果は著しいとされている。

であるならば、私たちも笑いを自分の健康増進に、病気の治療に充当していきたいのものである。


社会教育家、田中真澄氏の『明るく生きれば人生は好転する』(かんき出版)より


「笑い」の効果は、大きいのですね。

医者選びも「嬉しそうな、心の明るそうな容貌の人」

医者に限らないかもしれません。

本日の一話<12月17日>

武道界の長老と食事をしていて、水が入ったグラスを置く位置について注意されたことがある。

私のグラスが手元に近いため、箸(はし)を伸ばすと当たって倒す危険がある、というわけだ。

「何事によらず、予測できるアクシデントは、最初から避けるべし」...これが武道家の心得だと笑っておっしゃった。

このとき、私は塚原卜伝(ぼくでん)のことを思った。

卜伝ほどの達人になれば、世の中、怖いものなしだろうに、卜伝は無益な戦いは避けることを信条の一つとしていたからだ。

こんなエピソードがある。

技量優秀で、そろそろ免許皆伝を与えようかと、卜伝が思っていた高弟がいた。

あるとき、この高弟が馬の後ろを通ったところ、馬がいきなり後ろ足で蹴り上げてきた。

周囲の人たちが危ない、と思った瞬間、この高弟は、ひらりと身をかわしたのである。

それを目にした人たちは、「さすが卜伝先生の高弟だ」と、口々に称賛した。

ところが、この話を聞いた卜伝は違った。

「未熟者め」と言って、免許皆伝を与えなかったのである。

そして、ある日のこと。

卜伝が歩いていて、馬に出くわした。

高弟と同じ状況である。卜伝はどうしたか。

馬のそばを避け、遠く迂回(うかい)して、何事もなく通り過ぎていったのである。

それを見て、なぜ卜伝が高弟に免許皆伝を与えなかったか、みんなは納得した...卜伝のこのエピソードに、長老の注意を重ね合わせ、私は以後、予測できるアクシデントは極力避けるようにしている。

夜、電車に乗るときは、酔っぱらいがいない車両を選んで乗る。

声高に話す行儀の悪い一団は避ける。

飲み屋もしかり。

素行が悪そうなグループの近くには座らない。

会社においてもしかり。

自分の企画に反対意見が出そうだと思ったら、企画を提出するタイミングを再検討する。

丁々発止の意見を戦わせ、よしんばそれに勝ったところで、相手に怨(うら)みを残すのは、長い目で見ればマイナスに作用することが多いのである。

『降りかかる火の粉は避けて通れ、払えば袖に火がつく』これが武道精神なのである。


向谷匡史氏の『武道に学ぶ「必勝」の実戦心理術』KKベストセラーズ


自分の判断、行動が結果として返ってくる。

奢らず謙虚に用心深く、初心忘るべからず。

 

 

 

 

本日の一話<12月16日>

「立派なことを言うより立派なことをするほうが立派だ」

これは偉大な政治家であり発明家でもあったベンジャミン・フランクリンの言葉である。

「こうすればいい、ああすればいい」と評論家のようなせりふを口にするのだが、さっぱり実行が伴わない人はあなたのまわりにもたくさんいることだろう。

本当の成功者は、実行した経験をもとに話をするものだ。

あなたは口先だけの人物か、実行する人物か、どちらだろうか。

あなたがうまくやり遂げられる可能性のあることは何だろうか。

あなたが立派に実行できれば、人々はあなたのアイデアに敬意を抱くようになる。

「言い訳が得意で、他のことも得意だという人を、私は一人も知らない」これもフランクリンの名言である。

物事を最後まできちんとやり遂げない人を表現する言葉として、これ以上に的確なものはない。

「忙しい」「やり方がわからない」「時間がない」「お金がない」などというのは正当な理由にはならない。

それをするだけの勇気や能力、技術が自分にはないことを認めたくない人が思いつく言い訳にすぎないのだ。

何かをやってみるのに言い訳はいらない。さあ、やってみよう。


ドン・エシッグ氏の『1分間でやる気が出る146のヒント』(ディスカヴァー携書)より


どうしたらできるようになるのか、どうしたら改善できるのかを、考え行動できる人になりたいものです。

言い訳論者、批判評論家にならないで

本日の一話<12月15日>

シェイクスピアの有名な劇中に「不幸を治す薬は、ただ希望よりほかにございません」という名台詞(めいぜりふ)があります。

この名台詞こそ、暗から明への切り替えを表わしています。

有名な喜劇俳優でありましたチャップリンは、ユダヤの人です。

「笑いは人生の潤滑油である」ということを言っています。

人間は笑える唯一の動物です。

笑いの形は、人相的に言いますと「相好(そうごう)を崩(くず)す」といいます。

人間の形を崩したとき、そこには人格もなければ、また念願も、決意も、そういったものが全部ゼロになります。

笑いというのは、そういう姿なのです。

また、微笑というものは、人に投げかけるものです。

微笑は人に投げかける「明」のサインです。

明のサインこそ、さまざまな"明の縁"を集めます。

微笑は、我々の縁と縁とを結び、そして人の輪を広げるためには絶対に欠かすことのできないものであり、顔から人々に与えるサインなのです。

笑いのないところには幸運は訪れません。

心から笑う習慣、心の底から相好を崩して笑う癖をつけていれば、知らず知らずのうちに幸運が訪ねてくるようになります。


藤木相元氏の『「運」を味方につける48の習慣』(幻冬舎)より


「笑う門には福来る」笑顔を心がけたいものです。

楽しい心、嬉しい心、五感をめいっぱい開いて

本日の一話<12月13日>

執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。

それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。

自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。

執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。

それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。

ならなくてもいいけれど。

そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。

超能力の立場からしても、「こうでなきゃイヤだ」と思ったときは脳波がβ(ベータ)波になって、15%の力でしかものを克服することができませんし、実力でしか表現することができません。

一方、「こうなるとうれしい」「こうなると楽しい」「こうなると幸せだ」と思ったときは脳波がα波になり、不思議な力(85%の潜在能力)が助けてくれます。

そういう力が、どこからか支援してくれるのです。

こういう考え方もぜひ覚えておいてください。

「こうでなきゃイヤだ」と思ったときは、「やだ」か「ゼロ」しか待っていません。

例えば、「明日晴れなきゃ、やだ」と思ったときには、晴れないと(つまり、雨や曇りだと)、「やだ」なのです。

晴れて当たり前ですから、それが「ゼロ」になります。

「やだ」か「ゼロ」、「マイナス」か「ゼロ」しか待っていません。

一方、「明日晴れたらうれしい」と思ったとしましょう。

晴れなくても、雨でも曇りでも「ゼロ」です。

「晴れたらうれしい」のですから、晴れたときにはその分「プラス」になります。

「プラス」か「ゼロ」しか待っていません。

「晴れたら楽しい」と思ったときには、「ゼロ」か「楽しい」しか待っていないのです。

そういう、ほんの少しの考え方の違いで、未来に待ち受けているものが、完璧に違うのです。

いろいろなものを、「こうでなけイヤだ」「どうしてもこうなってほしい、こうあってほしい」と思うことが執着。

その執着はほとんど自らの手でむんずとつかんでいるところから始まっています。

ちょっと見方を変えて、そのつかんでいる手を放してみたらどうでしょうか。


 
小林正観さんの『この世の悩みがゼロになる』(大和書房)より


どんな執着を持っているのでしょう。

考えてみます。

本日の一話<12月12日>

以前、アメリカのジャーナリストが行った調査によるとニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストをはじめとするアメリカの新聞のおよそ8割はマイナスの情報に満ちているといいます。

日本の新聞やテレビから流れるニュースも例外ではありません。

犯罪や事故や景気低迷といったマイナスの情報が実に多いことに気づくと思います。

こうしたマイナスの情報に満ちた環境の中で暮らしていたらどうなるでしょう。

マイナスの情報が他者暗示という形となって、その人の心にどんどんインプットされるようになります。

そうなったら、心の中にマイナスのエネルギーが宿るため、悪いモノを引き寄せる結果となります。

これを相殺、もしくはプラスのエネルギーに転じさせるためには、願望をいつも思い出す習慣をつけておくのが良いです。

たとえば、マイホームが欲しいという願望ある人は、まず自分が理想とするタイプの家を雑誌やネットなどで探すようにするのです。

そして、気に入った写真が見つかったら、それを切り取り(ネットならプリントアウト)、部屋などに貼って、暇さえあれば、それを眺めるようにするのです。

小さな写真であれば、定期入れなどに入れて、通勤電車の中やどこかで人と待ち合わせているちょっとした空き時間に眺めるのもいいでしょう。

いずれにしても、自分の願望に関係する写真や絵を手元に置いて、いつもそれを眺めるようにすれば、イメージの世界で自分が本当にそうなったかのような体験をすることができます。

そうなれば、快適で楽しい気分にもなれます。

それはとりもなおさず、心が明るくなり、プラスのエネルギーが宿った証拠なのです。

「マイナスの情報から心を守るために、自分の願望に関係する写真や絵を眺めるようにしよう」


植西聡氏の『運気をつかんで離さない人の習慣』(徳間書店)より


自分がいい気分でいられるような、ちょっとした工夫できますね。

大好きなもの、写真、大好きな臭いなど自分の周りの環境整えたいですね。

本日の一話<12月11日>

自分の好きなことを仕事としてやっていくことができる人は、本当に幸運だと思います。

僕自身、そんなことはほとんどできていません。

やりたくもない予備校講師を長年やってきたことで、ようやく自分が一番やりたい本を書くという仕事の依頼を次々といただけるようになりました。

ところが、本を書くより好きだとはとても言えないテレビの出演の依頼も多数いただけるようになり、肝心な本を書く時間をほとんど捻出できない状況です。

だったら、テレビの仕事を断ればいいではないか、という声も聞こえてきそうです。

それはもっともですが、「それはちょっと違う」と言いたいのも事実です。

みなさんは、自分の「交換可能性」ということについて考えたことがありますか?

僕は、このことに絶えず自覚的です。

仕事を断ることは簡単ですが、僕でなければできない仕事などほとんどありません。

そう、僕にできる仕事は、基本的には他の誰でもできるのです。

にもかかわらず、相手はぜひ僕に、と依頼してくれた...。

どこに断る理由があるのでしょうか?

ありがたくお受けして、そこで全力を尽くすだけです。

そして、依頼してくれた相手が、「やっぱり林さんにお願いしてよかった」とほほ笑んでくれれば、それでよいではありませんか。

こういった「交換可能性」は、すべての人に当てはまる話なのです。

「オレがいなかったら、この会社は立ち行かないよ」こんな妄言はありません。

その人がもしいなくなっても、おそらくその会社はしっかり営業を続けるでしょう。

組織とはそういうものであり、また、そういうふうに組織づくりを行うべきなんです。

そんなふうに、誰しもが「交換可能性」に脅かされるように生きているなかで、『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんは、次のようにおっしゃっています。

『運に巡り合いたいのならば、なんでも引き受けてみるといい』自分の好き嫌いなどという小さな物差しにこだわらないことが、運に巡り合う秘訣だ。

そう読み替えることもできるでしょう。

そういうものなんですよ。

これは、僕がいただいたテレビの仕事に全力で向き合ったからこそ出会えた言葉なんです。

『やりたくない仕事に全力で打ち込むことが、やりたい仕事に自分を近づけてくれるという逆説』そんなふうにも言えるのではないでしょうか。

逆に、『やりたいことにこだわりすぎるがゆえに、逆にやりたいことができなくなってしまうという逆説』これもまた真実のような気がします。

会社に入って、最初に配属されたのが希望した部署ではなかったと、モチベーションが下がってしまう人がいます。

ひどい場合は、それだけで会社を辞めてしまう人さえいます。

「僕にはそれはできません」「私はこれしかやりません」と拒否することが、結果的には自分の可能性を狭めることになる場合が少なくないのです。

自分にどんなポテンシャルが眠っているのかは、案外自分ではわからないもの。

第三者が客観的に見たうえでの、「この人にはこの仕事をやらせてみよう」という判断は、意外に正しい場合が多いのです。

ですから、自分のモノサシにこだわって、まだわからない未知の才能が花咲く可能性をつぶしてしまうのはもったいない。

やなせさんのような、こんな仕事もやってみるか、という柔軟な姿勢から好結果は生まれるものなのです。


林修氏の『林修の仕事言論』(青春出版社)より


目の前のことを一生懸命やることが大切だと思っています。

精一杯

本日の一話<12月10日>

よく、商店の店主や中小企業の社長さんが、人を採用するときに「いい人が来ますように」と言って相談しに来られます。

厳しい言い方になりますが、自分がいい人じゃなければ、いい人は来ないのです。

神さまは「同じような人が集まる」と言います。

いい人に来てほしいなら、自分がいい人になること。

そのためには、まず自分を知ること。

自分を知ると、たとえば、撮られた覚えのないビデオに映っていた自分の姿を見たときのように、「人のことは言えない」と思うくらい謙虚な気持ちになるものです。

そして、他の人がいかに素晴らしいかがわかり、尊敬や感謝の気持ちが湧き出てきます。

逆に、自分の姿をまだ知らないうちは、人の粗(あら)がよく見えるものだから、不満や批判が心を埋め尽くし、人に対して「変わってほしい、何かをしてほしい」と思う気持ちが強いものです。

そういう状態の人は、誰かに「何かをしてあげたい」という気持ちにはなれせん。神さまは「したことをされる」といつも言っています。

つまり、人をうれしい気分にさせることが出来ない人は、あまりしあわせにはなれないということでしょう。

でも、いくら人をうれしい気分にさせるといっても、口先だけでそれをしたときは、かえって始末の悪いことになります。

結局は、そのうち本心が露呈して相手をがっかりさせることになるからです。

心にもないことは、あとあと厄介で、自分の運も落としますから、言わないことです。


井内由佳氏の『わたし、少しだけ神さまとお話できるんです。』(幻冬舎文庫)より


ALPHANに残っていく人は、いい人ばっかりだから、社長がいい?!

笑ってもいいですよ

本日の一話<12月9日>

弟子入りのときに、立川談志師匠に言われた言葉。

「修行とは不合理や矛盾に耐えること。前座の役目は俺を快適にすること」

ここは学校ではありません。

また会社でもありません。

つまり、いままで所属していた社会で培(つちか)ってきた価値観だけでは対応できないのです。

ここで、自分のプライドとの勝負になります 。

おそらく立川流を自らやめていった人間の大半が「プライドとの兼ね合いで悩んだ結果」だろうと察します。

「なんでそこまで言われなきゃならないのか」「なんでそんなことまでしなきゃならないのか」という葛藤に耐えられなくなって、やめるのでしょう。

古典落語という「ネタバレ」したストーリーは、なぜプロが語ると面白いのでしょうか?答えは「間(ま)」です。

「間」は早すぎてもいけません。

長すぎても「大間(おおま)」といって好まれません。

ちょうどいいタイミングで処理するからこそ、「いい間だねえ」と評価されるのです。

まさに修行生活とは「間と呼吸」を求められる期間なのです。

要するに「おい、アレ出せ!」と言われたら、「はい!」と即、対応する力です。

遅いのは無論怒られますが、「アレ」という前にその品物を出すと、今度は「なぜ、お前のペースに俺が合わせなきゃならないんだ!?」と、これまた怒りの対象になるのですから、やはり「間」なのです。

さあ、ここで、「修行生活」を「無茶ぶり」と置き換えてみましょう。

前座の後半期、師匠から「いま飲んでるから机の上の原稿を持って来てくれ」とだけ留守番電話に入っていたことがありました。

この短いメッセージを深く吟味し、直前まで師匠と一緒にいた弟弟子に電話し、師匠が懇意の歯医者さんに行ったことを確認。

そしてその歯医者さんに電話をして、助手の方から「歯医者さん行きつけの店」を数店、聞き出し、さらには師匠が好みそうな雰囲気のお店...となると必然的に対象は絞られ、限定されてきます。

そこで、これはというお店に電話をし、案の定、師匠が飲んでいることを確認しておいて、お店の戸を開けて入っていきます。

「よくわかったなあ」と言ったのは、歯医者さんのほうでした。

師匠は、「こいつは、やっとこういう対応が取れるようになったんだよ、なあ?」と当然の顔。

「俺のところにいれば、どんなやつでも使えるようになるんだ」と、自慢げにその歯医者さんに語りました。

「修行」とは「無茶ぶり」、そして「無茶ぶり」とは「修行」なのです。

自分という小さいワクをぶち壊して、さらなるバージョンアップを図るには、「無茶ぶり」しかないのかもしれません。

このバージョンアップによって「対応力」が磨かれるのです。

そう、「無茶ぶり」は可能性のある者に向けられた試練なのです。


立川流真打、立川談慶氏の『落語力』(KKロングセラーズ)より


自分の身の回りに起こる不愉快なことも修行と思えば、気持ちも楽になるかもしれませんね。

そして、心の成長になるかもしれませんね






本日の一話<12月8日>

いいかい。

人は、"見かけ"100なんだよ。

世間の人はたいて、「格好をつけるな」とかって言うんだけど、私は昔から、「格好ぐらいつけろよ」って言ってるんです。

なぜなら、人の中身って、外からは見えないんです。

あなたがどんなにすばらしい才能を持っていても、どんなにりっぱな考え方を持っていても、どんなに"いい人"であっても、外見を整えて格好よく見せることをしなかったら、誰もあなたのすばらしさに気づいてくれないよ。

他人のすばらしさをわざわざ探し出してくれる人は珍しい、めったにいないよっていうことなんです。

しかも、人は"見た目"通りなんです。

例えば、「私は何十年も前に華道の世界に入って、今は師範をしています」と言う人がいるとするでしょ。

でも身なりも、立ち居振る舞いも、どれを取っても"品がない"としたら、どう思いますかっていうことなんです。

この人は、何十年もお花をやっていて、師範にまでなったのに、相も変わらず品がよくならない、そんな性質を持っているんです。

その性質が"見た目"に出ている。

いつ洗濯したんだか、よくわからないようなシャツ着て、スラックスの線も消えちゃってるっていう人を想像してごらん。

「あの人は身なりをかまわないけど、家は億万長者なのよ」っておかしいと思わなきゃダメですよ。

家は億万長者でお金もあるのに、ちゃんと清潔にしようと思わないという性質が出てる。

その汚い格好で周りに不快感を与えているのに、平気でいられる。

そういう性質が外見に表れているんです。

「この人はお金持ちなのに、だらしがないわ」って、あなたは思うでしょ?

ということは、"見た目"にだらしない性格が出ているのが、わかっているんです。あなたは、そういうだらしない人と「友達になりたい」とか「いっしょに仕事をしたい」と思うかい?思わないよね。

だったら格好ぐらいつけなよって。

スーパーのバーゲンで買ったシャツだっていいの。

きれいに洗濯されてて、清潔な感じがするようなシャツを着てくださいって言っているんです。

外見を整えて、自分をより高く、魅力的に見せないといけないよ。

人は"見た目"で判断するんだから。

身なりが残念だったばかりに、他人になめられたままで、楽しく幸せに生きることはできないよっていうことです。

あなたの今の外見に、あなたの生きざまから考え方まで、全部"あなた自身"が出ているんです。

それを人は、見ていないようで、実はよく見てるんです。

"見た目"で、あなたはどういう人間で、親しくつきあうべき人間かどうか判断されているんです。

もちろん、みんな心がきれいで性格のいい人とつきあいたいよね。

だけど、性格がいいだけじゃダメなの。

性格がよくて成功しているだけでもダメなんです。

なぜかというと、「成功していて格好いいうえに、性格もいい人」っているんです。

ほんとうに。

そういう人と「性格はいいけど、成功していなくて"見た目"も残念な人」がいるときに、あなたはどちらの人により魅力を感じますか、ということなんだよね。


斎藤一人さんの『21世紀は男も女も"見た目"100%』(マキノ出版)より


外見を磨くことも必要なんですね。

その外見が内面を磨くということもあるのではないかな。

本日の一話<12月6日>

主張、意見、提案などメッセージの確立で、コミュニケーションの80%は成立すると言われています。

しかし、本当に相手とつながるには、どんなメッセージを送るか、その提案力にかかっています。

ところが、そこに軸足を置かず勘違いをし、つい小手先の「ウケ狙い」な表現を最優先してしまいます。

拍手を欲しがり、大向こうをうならせようとする。

そして、「目立たせる」だけで、「表現している」という錯覚をしてしまっているのです。

心ある先輩は声を大にして言います。

「ウケたかウケなかったか、売れたか、売れなかったか、に焦点をあてるだけでは、人間いやしくなっていく」

「コミュニケーションは、相手に何をしてあげたいのか、どうなって欲しいのか、その想いの強さと熱さで決まるのだ」と。

確かに今は、人を幸せにすることや、心や文化、さらには社会全体が企業のテーマとなってきています。

提案は、モノと社会との間にあるものです。

「明るく楽しくする方法」「先をよくする方法」を探し、創り出す。

人や社会へのこだわり、そして執着心を持つことで人を巻き込めるのです。


元博報堂制作部長、高橋宜行氏の『人真似(マネ)は、自分の否定だ』(ディスカヴァー)より抜粋


損得は、自分だけの利益。

損得ばかり考えていると、人はいやしくなるらしい。
自分が人や、まわりを、どれだけ、明るくできるか。

どれだけ、元気にできるか。

どれだけ、幸せにできるか。が肝要。




本日の一話<12月5日>

英文学者の小田島雄志先生はパチンコが大好きです。

ふだんから優しい方なので、パチンコが出ない時も、パチンコの機械に向かって「君も苦しいだろうけど、僕だって苦しいんだ。お互い頑張ろう」と、ささやきかけます。

そんなふうに言われたら、機械も頑張ります。

私は、ボウリングは、レーンに合うようにボールを変えます。

合わないボールに「おまえはもう使わない」というのではなく、「ちょっと1回休もうか。ゴメン。僕の選択が間違った」と言うのです。

モノに対しても愛情を注ぎます。

上司がそこら辺のゴミ箱を蹴飛ばしていたら、それだけで自分が蹴飛ばされた感じがします。

言葉は刃物と同じです。

包丁やはさみを刃から渡す人はいません。

言葉は冷静さを欠くと刃から渡してしまいます。

交渉ごとのうまい人は、激論の時ほど小さい声で話します。

ここで大きい声になる人は、メンタルが揺らいでいます。

ぶちキレそうになった時に、どれだけ冷静に粛々と進められるかです。

切れ者の弁護士は、それができるのです。


中谷彰宏氏の『一流の人が言わない50のこと』(日本実業出版社)より


「モノに対して愛情を注ぐこと」って、どのように感じるのでしょうか。

車の清掃、道具の手入れは、まさに愛情を注ぐことなのでしょう。

本日の一話<12月4日>

ツイてる人間は、怖い顔をして「頑張ります」とは言いません。

ライバルとは敵です。

敵を作ってはいけません。

敵を作ることより、まず友達を作ることです。

競争するより、協力したほうがいいんです。

ツイてない奴がいくら集まったって、どうしようもありません。

ツイてる人間になることは別に難しいことではありません。

「ツイてる、ツイてる」と言えばいいのです。

よそでは、「三位一体、心と体と言葉がともなわないといけない」とか言われますが、「ツイてる」のひと言だけ、簡単です。

でも、言っているんだから、もうすでに心はともなっているはずなんです。

心がともなっているから言っているのに、「心がともなわない」と言われると、何か別のことをやらなければならないのかとカン違いしてしまう。

「ツイてる」と言っている人間に、「形から入れ」と言われても、ツイてる形なんて、誰が想像できますか?

そんな難しいことはいりません。

ただ、「ツイてる」と言っていればいいのです

思っているだけではいけません。

「この会社に入れてツイてます」

「日本に生まれてツイてます

それから、「あなたがこの会社にいてくれて、ツイてるよ」と言われるような人間にならなければなりません。

何かにつけて、ツイてないとしか思えない人間には、そういうことはできません。

世の中いろんなことがあるけれど、それもツイてることです。

「ツイてる、ツイてる」って言いましょう。


斎藤一人さんの『変な人の書いたツイてる話』(総合法令)より


運がいい、悪いってそもそも自分がどうとるかの問題が一番のように思います。

物事には2面性があるのだから、どちらに焦点を合わすのかによって全く正反対になることも。

いい方に焦点を合わせて、いい方に解釈してみてはどうでしょう。

本日の一話<12月3日>

よく、商店の店主や中小企業の社長さんが、人を採用するときに「いい人が来ますように」と言って相談しに来られます。

厳しい言い方になりますが、自分がいい人じゃなければ、いい人は来ないのです。

神さまは「同じような人が集まる」と言います。いい人に来てほしいなら、自分がいい人になること。

そのためには、まず自分を知ること。

自分を知ると、たとえば、撮られた覚えのないビデオに映っていた自分の姿を見たときのように、「人のことは言えない」と思うくらい謙虚な気持ちになるものです。

そして、他の人がいかに素晴らしいかがわかり、尊敬や感謝の気持ちが湧き出てきます

逆に、自分の姿をまだ知らないうちは、人の粗(あら)がよく見えるものだから、不満や批判が心を埋め尽くし、人に対して「変わってほしい、何かをしてほしい」と思う気持ちが強いものです。

そういう状態の人は、誰かに「何かをしてあげたい」という気持ちにはなれせん。

神さまは「したことをされる」といつも言っています。

つまり、人をうれしい気分にさせることが出来ない人は、あまりしあわせにはなれないということでしょう。

でも、いくら人をうれしい気分にさせるといっても、口先だけでそれをしたときは、かえって始末の悪いことになります。

結局は、そのうち本心が露呈して相手をがっかりさせることになるからです。

心にもないことは、あとあと厄介で、自分の運も落としますから、言わないことです。


井内由佳氏の『わたし、少しだけ神さまとお話できるんです。』(幻冬舎文庫)より


「まず自分を知ること」が大切なのかもしれませんね。

「自分のことは棚にあげておいて」にならないように

本日の一話<12月2日>

10年後に「なくなる職業と仕事」。英オックスフォード大学でAI(人工知能)が専門のマイケル・A・オズボーン准教授の研究。

それは、702の職種すべてについて、コンピュータに取って代わられてしまう確率を研究したもの。

なんと、その消えてなくなる確率は90%以上だという。

それは例えば、「銀行の融資担当者」、「スポーツの審判」、「不動産ブローカー」、「レストランの案内係」、「保険の審査担当者」、「電話オペレーター」、「レジ係」、「チケットもぎり係」、「電話販売員」、「時計修理工」、「図書館員の補助員」、「データ入力作業員」等々。

また、米労働統計局のデータに基づいて行われた別の調査では、10年後に姿を消す可能性の高い職業が発表された。

それは例えば、「新聞記者」、「メーターの計測係」、「郵便配達員」、「印刷業者」、「税務調査官」、「フライトアテンダント」、「旅行代理店の社員」、「木材伐採人」等々だという

コンピュータやインターネットの出現で仕事や、考え方がとてつもなく大きく変わっていきますね。

私たち住宅関連の職業は、どのようになって行くのでしょう。

新築の住宅は、もっと工業化が進みそうです。リフォームについては、どうでしょうか?


時代の変化を感じとり、時代とともに成長しないと取り残されてしまいますね。

本日の一話<12月1日>

私達は人と出会うと自然に挨拶をしますよね。

この「こんにちは!」もその一つです。

前から歩いて来る人を見つけて今日は「こんにちは」を言おうか「ごきげんよう」と言おうかを考えてから「こんにちは!」と言っている人は恐らく居ないはずです。

普段から自然に発している「こんにちは」は無意識のうちに発せられた言葉なんですよね。

もう少し例をあげると・・・

感動した時に発する「うわー!すごい!」「すげぇ-!」という言葉が聞こえますがこの言葉って、選んで言っていると思います?

感動した 発する言葉が自然に「すげぇ―!」になっていると思うのです。

他にも感動を表現する言葉はたくさんあるはずなのに、私達がある場面に遭遇した時に無意識に漏らす言葉は決まっていることが多くあります。

無意識の力は、自然に発する言葉にも表れているんですよね。。

私達が今、この時点で話している言葉も同じです。

人は、1秒に約25文字の言葉を発していると言われています。

「あ」と言った後に次は「い」と言おうかと考えていたらこんなにスラスラ話せるはずがありませんよね。

そう考えると、無意識で発することができる言葉の力も、とても偉大でありこの無意識の力を使わない手はないのですよ。

言葉は言霊といって、プラスの力とマイナスの力を持っています。

プラスの言葉を発すれば、自分にもプラスのエネルギーが生まれ周りの環境もプラスに変わります。

そんなエネルギーを持つ言葉を私達は無意識のうちに発している。

このことに注目し、無意識の言葉の力を自分の成功のために働かせるようにしていきましょう。


中井隆栄氏のメルマガより


意識、無意識を足して100とするなら、意識5%無意識95%と言われています。

それだけ大きな力があるのです。

本日の一話<11月29日>

就活に失敗し、大学は卒業したものの、フリーターになった私は、何をしたらいいのかまったくわからないまま、アルバイト先とアパートを往復する毎日でした。

そのころ私は、受験生にチラシを配るアルバイトをしていました。

地方からやってきた受験生は、合格して上京したら、まず家を借りなければいけません。

そんな受験生に、前もって仕込んでおくための不動産のチラシです。

でも、スタッフの管理がかなりゆるく、がんばっても、適当にやっても変わらない。それどころか、チラシだけ持って帰って、家で捨ててしまってもまったくバレないような仕事でした。

そのアルバイトに、私と同年代くらいの、金髪の青年がいました。

金色に染めた髪にピアスをして、穴の開いたジーンズを履き、チャラチャラ感にあふれています。

切れ長の目をしたその青年は、その見た目とは大きなギャップがあり、まったくやる気のない人の分のチラシも配るくらいの勢いで、目の前の受験生一人ひとりに心を込めてチラシを渡しています。

「お願いします!」という、その言葉の奥からは、まるで「試験がんばってくださいね!」と聞こえてくるかのようでした。

それでも私は、「なんかがんばっちゃってる、まじめなヤツがいるなぁ」くらいにしか考えていませんでした。

そんな彼と、アルバイト後の移動で一緒になり、話をする機会がありました。

「ずいぶん一生けんめいだね」と私が言うと、その彼が私の人生を変えるひと言を雷のように頭に落とし込んだのです。

「お金をもらうんだから、ちょっとでも上乗せして返すくらいの気持ちでやらなきゃダメっしょ!!」

初めて聞いた言葉でした。

言われたことをただやっているだけ。

むしろ適当にやっていた自分が恥ずかしくなるような...
これまでの私は、自分にとって関わりのあることには一応向き合ってはきたものの、自分の人生には関係ないと思えるものには、「これはオレには関係のないことだから、エネルギーを使うだけムダ」と選別をして生きていました。

何をやってもダメで、お先真っ暗、八方ふさがりの状態だった私は、何をやってもまったく報われない、今の現実が起きている原因の一つが「自分に関係ないことには向き合わない」という、この考えなんだと、彼の言葉からなぜか感じたのです。
「受けたものに"上乗せして返す"気持ちを持つ心」その言葉が頭の中をグルグル回り続け、そして時差はありましたが、次第に手のひらを固く握り締めるように、"ハートがグッと決まる"のを感じました。

『関係ないと思うようなことでも、"今、目の前にあること"にしっかり向き合って生きていくように、自分を変えよう』...と。ここからなのです。

たくさんの不思議な演出が起きたり、人生を導く出逢いがむこうからやってきたりし始めたのは!


佐藤政樹氏の『幸運は、なぜ「むこう」からやってくるのか』(Gakken)より


佐藤政樹氏は、23歳のフリーターから、絶対に無理といわれた、『劇団四季』のトップ、気象予報士合格というW合格を果たしたという。


「受けたものに"上乗せして返す"気持ちを持つ」

ちょっとした心がけの変化が、現象として現れるのですね。



本日の一話<11月28日>

いよいよ、リニア新幹線が動き出す。

JR東海は27日に東京都内で、2027年に東京(品川)-名古屋間の開業を目指すリニア中央新幹線について、12月17日に品川駅と名古屋駅で工事安全祈願式を行うと発表したそうです。

本格工事に向けた準備工事を両駅で。

準備工事は、品川駅では資材の仮置き場などを整備し、名古屋駅では東海道新幹線の高架下にリニア中央新幹線の駅をつくるための作業を行うという。

JR東海は現状、リニア中央新幹線を品川-名古屋間で先行開業した後、18年後の2045年に大阪まで全線開業させる計画。

リニア中央新幹線は車両に超電導磁石を搭載し、磁力によって浮上させ、最高時速約500キロで走行。

品川-名古屋間の最短時間は現行の東海道新幹線の1時間28分から40分に大きく短縮する。

品川-名古屋間の工事費は5兆5235億円で、同社が全額を自己負担する方針だそうだ。

まさに「夢の超特急」ですね。

楽しみです。

2045年まで長生きしないと・・・

本日の一話<11月27日>

因果応報の法則とは、善いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。

善因は善果(ぜんか)を生み、悪因は悪果(あくか)を生むという法則のことです。

善因悪因の「因」とは、自分が生きている間に思ったこと、行ったことです。

自分自身が思い、考え、実行すること、それらが因、つまり原因となります。

思ったり、考えるだけで原因になるのか、と疑問に思われる方もいるかもしれません。

また、単に思っただけでしかないと、我々は軽く考えがちです。

しかし、思うということは決して軽いものではありません。

恨み、つらみなどを考えただけで、それが原因をつくってしまいます。

そして、原因は必ず「結果」を生みます。

原因が原因のままで残り続けることはありません。

ところが、因果応報の法則は、必ずしもその通りの結果が出ているようには見えません。

周囲を見渡せば、いいことをしてきた人が病気で苦しんでいる、悪いことをしている人が幸せそうに暮らしている例は、いくらでもあります。

このような状況では、いくら因果応報の法則を説かれても、我々のような凡人にはなかなか信じられません。

世の中は、因果応報の法則の通りになっていない、とつい思ってしまいます。

因果応報の法則は、結果が出るまでには時間がかかることがあります。

原因に対して結果がすぐ出ることもあるにはありますが、多くの場合はなかなか結果が出てこないのです。

しかし、20年、30年といった長いスパンで見ると、必ず因果応報の法則通りの結果になっています。


京セラ名誉会長、稲盛和夫氏の『成功の要諦』(致知出版社)より


善き行動はもちろん、善き思いも意識しなければいけないのですね

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